2019年10月26日



『愛の逃亡者』―聖ジェラルド・マイエラ伝
シスター岡本訳 レデンプトール会
 ―「奇跡をする人」「母親の保護の聖人」1904年教皇ピオⅩ世により列聖
1回目

「1726年4月6日に、ここムロの町のピアネロ(小さな平地の意味)の町の一軒の家でジェラルド・マイエラは生まれた。ここは町の東側の、そびえ立つ大聖堂とレッシオの淵(ふち)との中間に、ぶら下がるように突き出た小さな岩場で、この町唯一の平たい場所である。

大聖堂の首席司祭は、このつつましい職人の赤ん坊に洗礼を授けたときに、自分の手を通してすばらしい恵みが注がれていくのを感じたであろうか。

四人めに初めて男の子をもうけて幸せいっぱいの母親は、間もなくこの赤ん坊が他の子供とは違っていることに気づき始める。ジェラルド坊やはほとんど泣かず、お乳を求めて泣き叫ぶこともないのである。

泣きもせずいつも愛くるしいこの赤ん坊のふしぎさに、近所の人々も感心して眺めるのだった。母はただ頬ずりしながら「坊や、祝福されますように」とくり返しささやいている。

赤ん坊が少し大きくなると母は子供に神様のこと、イエズス様や十字架やマリア様のことを話してきかせていた。また家から二キロほど離れたカポディジアノの教会へもよく連れていった。そこはレッシオの渕(ふち)とは反対側のサンヘルの道を上ったところの、ゆるやかな斜面に建つ教会であった。

四、五歳になったジェラルドの最初の遊びは、小さな祭壇を作って飾ることであった。親せきの人が教会の香部屋係をしていたので、その人が取っておいてくれるろうそくのくずをもらっては、苦労して自分の祭壇のための明かりを作っていた。花も摘んで来て飾り、花とろうそくの間には自分のもっているご絵やご像を並べ立てた。中で一番よい場所を与えられて目だっているのは、いつでも聖ミカエルであった。幼いジェラルドがその前で祈ったり、可愛い声で聖歌を歌うのを戸のすき間からのぞいては、親類や近所の人たちはうっとりして感心していた。

母はただ夢見るようにささやくのだった。
「坊や、祝福されますように」

1732年の春浅いある日のこと。6歳の誕生日もま近いジェラルドが、嬉しそうな顔つきで家の中へ駆け込むなり、
「お母さん、見て」
と言っておいしそうな白いパンをさし出して見せた。
「だれにいただいたの」
「可愛い男の子から」

きっとだれか金持ちの坊やのことだろうと母のベニタは考えた。ところが白いパンの事件は二度三度と続き、とうとう毎日のこととなってしまった。
「ぼくにパンをくれるのは、きれいなおばさんとその子なんだよ」
「どんなおばさんなの、なんというお名前?」
「背が高くてきれいなおばさんだよ」


こんなに白いパンを毎日食べるようなぜいたくのできる家庭は、ムロには一軒もないことを母は知っている。だがいくらジェラルドにきいてもそれ以上は分からない。

姉のアニタはこのふしぎを突き止めてみたいと思った。それで朝ジェラルドが出かけると、好奇心から弟のあとをつけて行った。ジェラルドがレッシオの渕の方へ行くのが見える。

ピアネロとほとんど同じ高さのところに現在コンクリートの橋が架かっており、その百メートル下に谷川が流れている。

ジェラルドはごつごつした岩肌を掘って作った険しい小道に踏み入ると、でこぼこ道を急流の方へと下って行く。
「いったいどこへ行くのかしら」

離れてあとをつけながらアニタはふしぎでならない。

やっと谷底に着くと、今度は急流の二十メートル上にかかったディアプロ橋の古いアーチを通り、別の斜面を登り始めた。はだしの足で石灰のほこりの中を、畑や、ぶどう畑やいちぢくの茂みの中をどんどん進んで行く。
「ほんとに、止まるのかしら」

アニタの不審は続く。

ディアプロ橋から一キロのところに、ローマ時代のヤヌス神殿の廃墟に建てられた、カポディジアノの古い聖堂がある。この地方の聖母巡礼の聖地で「恵みの聖母」への信心がささげられる場所である。ここの聖母像はひざに幼きイエズスをのせておられる。

アニタはジェラルドが立ち止ったのを見た。やっと。

ジェラルドは小さい両足をいっぱいに踏ん張って大きな扉を開けると、至聖所の中に姿を消してしまった。

そこまで追いついたアニタは、半ば開かれた入口の扉から中をのぞいたが、その光景に目を疑わずにはいられなかった。

ご像の幼きイエズスが聖母のひざから離れ、するするっと降りて来る。子供同志、遊ぶことの他に何ができるであろう。飽きるまでひたすら遊びほうけるのが子供なのだ。幼子イエズスが幼いジェラルドといっしょ、聖堂の中で静かに楽しそうの遊んでいる。それはいつものことらしく、二人はよく知り合っている様子だ。

ジェラルドも最初のときは驚いたのであろうか。いったい子供が驚くものであろうか。子供はあらゆることに興味をもち、ふしぎがるが、少しも驚きはしない。

幼きイエズスとジェラルド坊やの遊びは終わった。
「またあしたね、ジェラルド」「またあしたね、さよなら」

すると、二人が仲よく嬉々とたわむれているあいだほほえんで見ておられた聖母が、マントの中からふしぎなまっ白いパンを取り出して、ジェラルドに渡された。
「ありがとう、おばさん、さよなら」

ジェラルドはそれからさっき来た道をディアプロ橋の方へ急いで帰り、今日の喜びと、もらった白いパンとを、母の前にさし出すのであった。

あとをつけて一部始終を見てしまったアニタは、感動のあまり大きなため息を吐き、この秘密を持って帰り母に語った。

翌日母のベニタは、自分の目で確かめるために、そっと至聖所に隠れていた。

母もまた昨日アニタが語ったのと同じ楽園の場面を目にして、心臓が止まるほどの驚きを覚えた。やがて子供たちの遊びは終わりジェラルドのいう「おばさん」と「男の子」から白いパンが渡された。

イエズスと聖母がこれからわが子に、どのようなことをなさるであろうかと、目もくらむ思いのうちに、母はまたしてもささやくのであった。
「坊や、祝福されますように」

イエズスと聖母のなさることとは?(タカシ)



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