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2019年11月26日


ミュラー枢機卿―「政治的エリートは教会を憎悪し、世界統一宗教を作ろうとしている」(「教会の栄光」en.newsより。翻訳引用者)

ヴィガノ大司教ー「教皇は、世界政府を望む強大な勢力に教会を服従させようとしている」(「教会の栄光」LIFE SITEより 翻訳引用者)(ポストマン)


2019年11月25日


「元教皇大使ビガノ大司教を含む約百名の聖職者や学者達が、「教皇フランシスコ」こと #偽預言者ベルゴリオ がアマゾンシノドスで行った偶像崇拝を痛悔するようベルゴリオに求める文書に署名しています」

「アタナシウス・シュナイダー司教が、バチカンの庭や聖ペトロ大聖堂内での異教儀式で崇拝されたパチャママの偶像を「新たな金の子牛」と呼んで断罪しています。「金の子牛」とはもちろん出エジプト記第32章に登場する偶像のことです。」
。([教会の栄光」より 静香)


2019年11月23日



パチャママ異教オブジェがテヴェレ川に廃棄されたことを信者はどのように捉えるべきなのだろう?【異教祭儀とキリスト教倫理】

これはまさしく偶像礼拝です。二人の司教が肩に「パチャママ」偶像をかつぎ、シノドス会場へ行進し、その二人をフランシスコ教皇が歓迎しています。「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」(出エジプト記20章2節)。ジョン・ストーン神父 *1

「米国カトリック教会の司教達。〔ヴァチカンにおける〕アマゾン偶像礼拝を目の前にしながら、あなたがたはなぜだんまりを決め込んでいるのですか?今、あなたが沈黙するなら、あなたは立派な共謀者です。ご自分の面目や評価をリスクにかけてでも、カトリックの使徒たちや殉教者たちの信仰をはばかることなく大胆に告白しようではありませんか。今こそ、真の牧者たちの立ち上がる時です!」テーラー・マーシャル博士(@TaylorRMarshall) 2019年10月7日*2

今月(2019年10月-引用者註)5日、サン・ピエトロ大聖堂の正面の大通り沿いにあるサンタ・マリア・イン・トランスポンティーナ教会においてパチャママ崇拝の異教祭儀が行なわれました。

「わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」(出20:3)という神の第一戒に反する罪が聖所の中で公然と侵されている異常事態に、その日以来、世界中の信徒たちが嘆き悲しみ、これらの異教オブジェを教会から取り除くよう教皇庁に嘆願が続けられていましたが、ヴァチカンからの応答はありませんでした。

そうした中にあって、二日前の早朝、パチャママの偶像が撤去され、テヴェレ川に廃棄されました。実行者は、カトリックの一般信徒男性だといわれています。以下がその瞬間をとらえたビデオです。*3

これを受け、ヴァチカンのスポークスマンは、信徒男性のこの行為が「暴力行為」であると糾弾し、別の一群の人々は「窃盗罪」「扇動罪」「レイシズム」「抑圧的言動」「宗教的非寛容」等と非難しています。*4

この信徒男性は、自分の行動が論議を呼び起こし、ある種の人々からレイシスト、窃盗者と批判されることも十分覚悟していたと思います。しかしキリスト教倫理の観点からみますと、(世俗メディアではなく)ヴァチカン自身が信徒男性のこの行為を完全糾弾することは非常に困難ではないかと思います。

というのも、前述しましたように、アマゾン特別シノドスにおいてはまずヴァチカン主導で、第一戒違反というキリスト教倫理における大罪が神に対しなされているからです。(この信徒男性の行動をトミズム的徳倫理学の観点から擁護している議論はここを、その他の有力なカトリック倫理弁証はここをご参照ください。)

例えば、みなさんの教会のある神父が、祭壇の前に「少数民族キリスト教美術作品」の一環としてポルノ写真を設置したとします。この異常事態に驚いたみなさんは当該ポルノ写真(キリスト教美術作品?)を祭壇から取り除くよう教区代表部に嘆願書を提出しましたが、全く応答はなく二週間経った現在もポルノ写真は教会の中央にそのまま置かれています。この神父は聖書、聖伝、カトリック倫理、教会法、そして何より神ご自身に対する「暴力行為」をなしています。

そうした中、神父によるこの大罪をみかねた一信徒男性が、ある日の早朝、教会に入り、当該ポルノ写真を祭壇から取り外した上で、それを多摩川に廃棄しました。

さて、キリスト教倫理の観点においてまず責められるべきは、どちらでしょう。ポルノ写真を祭壇の前に設置した神父でしょうか、それとも教会の「所有物」であるところのそのポルノ写真を「窃盗」し、廃棄した信徒男性でしょうか。(それとも信徒たちからの嘆願をひたすら無視し続けた教区指導層でしょうか。)

みなさんはどう思いますか。私やあなたの教会に裸婦の異教オブジェが設置された場合、私たち信仰者はまず生ける神の前にどのようであるべきなのでしょうか。ー終わりー(「巡礼者の小道」より転載)(静香)


2019年11月26日


パチャママ偶像をテヴェレ川に廃棄した勇敢な青年、公に名乗り出る。

10月21日の早朝、サンタ・マリア・イン・トランスポンティーナ教会に設置されていたパチャママ偶像が撤去され、テヴェレ川に廃棄されたニュースが世界を駈け廻りました。*1

そして今日、その行為をなした若者が公に名乗り出ました。オーストリア人カトリック青年アレクサンダー・チュグエル氏(26)です。下のビデオやインタビューの中で彼は澄み切った目でまっすぐに信仰を語り、自分と仲間たちがなぜパチャママ偶像をテヴェレ川に廃棄するに至ったのか、その動機について証しています。

すでに数日前に、アタナシウス・シュナイダー司教は書簡を通し、アレクサンダー・チュグレル氏を始めとする20代の青年たちの勇敢な行為を次のように称えていました。
彼らキリスト者男性たちの為したあの行為は、キリストの名に栄光をもたらした英雄的行為として教会史に刻まれることでしょう。」*2

ウォルター・ブランドミュラー枢機卿(90)も、次のように述べています。
「『聖所の中の荒らす忌むべきもの』を取り除いた二人のあの勇敢な‟マカバイ”たちは、今日の預言者です。」 *3

アレクサンダーは言います。「教会が現代世界の一部と化してほしくないのです。私たちは教会が神聖なる世界の一部であってほしいのです。」アーメン。彼のこの言葉を聞いたインタビュアーのマイケル・ヴォリス記者の目も涙で潤んでいました。

おそらくこの半世紀、教会の中のモダニズム勢力*4とひたすら闘いを続けてきた老戦士たちは、彗星のように突如として現れた26歳のこの純粋な青年の言動そして信仰に言い尽くせない慰めと励ましを受けたのではないかと思います。

それにしてもなんという男らしさでしょう。キリスト者の男性が正々堂々と義を行なう姿ほど私たちを感動させるものはありません。

「キリスト教会は死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても殺されず、永遠に不滅である。」
ー終わりー(「巡礼者の小道」より。静香)


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