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教皇フランシスコの選出にまつわる疑問1
デビッド・マーティン

教皇ベネディクトの2013年の辞任による教皇フランシスコの選出に関する議論については、カトリック教徒は出来事の重要な点を見落としている様に思われる。すなわち、ベネディクトⅩⅥ世は、決して教皇職を辞したわけではなく、その活動的任務から退いたに過ぎないということである。

ベネディクトⅩⅥ世の辞任の前夜、彼は語った―「ペテロの職務を受けた者は誰でももはやプライバシーは無くなる。彼は常に、そしてまったくすべての人々、全教会のものとなる・・・」「『常に』とはまた『いつまでも』ということであり、プライベートな領域に戻るということはありません。職務の活動的任務から辞任するという私の決心がこれをくつがえすことはありません」(2013年2月27日一般謁見)

その言葉によれば、ベネディクトⅩⅥ世は、その職務がなくなることなく教皇のままである。教会法によれば、辞任が有効であるためには教皇は『その職務』を止めねばならない。(教会法332)

教皇ベネディクトは明らかにその職務を「いつまでも」維持することを選んだのだ。その意味するところは、彼は依然として教皇であり、ということは二人の教皇は存在しえないゆえフランシスコは教皇ではありえないということを意味する。最近のファティマ専門家であるニコラス・グルネール神父は、教皇ベネディクトⅩⅥ世の辞任に関するその優れたビデオでこのことを指摘している。もしフランシスコが教皇であるなら、ベネディクトの職務は停止される。だがベネディクトはそれは停止されなかったと力説するのだ。

2013年の歴史的コンクラーベで誕生したキメラ教皇(筆者は神にではなく人によって選ばれた教皇という意味で使っている―訳注)を正当化するために、教皇公邸管理部長官の任についているジェオルグ・ガンスワイン大司教は、2013年2月11日の教皇ベネディクトⅩⅥ世の辞任発表はカトリック教会への新たな慣習導入の始まりとなったと報道陣に語った。「行動的教皇と内省的教皇の二人で、事実上の拡大された職務となる」教皇の職務は、今や一人以上の、すなわちベネディクトとフランシスコの「共通の教皇職」となると彼は語った。

あいにく分担された教皇職などというものは存在しない。またガンスワインは、実際これが、異端者がペテロの首位権を弱めるために用いる論拠であるということを知らねばならないが、彼の報道機関への説明は明らかに、(教皇として)栄誉を受けた人間を退位させることになった厄介な状況を説明するために彼にでき得る最善のことだった。

要するに、ベネディクトⅩⅥ世は退位を強いられた、言い換えれば「活動的職務」を辞めるよう強いられたのであり、しかしそれは「小舟」(ヴァチカンを指す―訳注)が議論でばらばらに破壊されないよう辞任という形でなされたとうことである。2015年の信頼できる数々の報告は、ベネディクトⅩⅥ世が退位を強要されたことを示すが、それは2005年の教皇ベネディクトの就任演説の中で予示されている。そこで彼は語った―「私が恐れて狼の群れから逃げ出さないようお祈りください」

 私たちはブリュッセルのダンネエル枢機卿が、彼自身が語ったことにより彼が教皇ベネディクトに反対する急進的改革主義者の「有力者集団(マフィア)」の一員であることを知っている。堕胎、LGBTQ(同性愛者など性的少数者)の権利、同性婚の支持者として知られるダンネエルは、2015年9月に録音されたインタヴューで、教会を「さらに現代化」するためにその急進的改革をめざし、ホルヘ・ベルゴリオ枢機卿(教皇フランシスコ)をその長に据えるつもりのこの「有力者集団(マフィア)」に、彼とかなり多くの枢機卿たちが属していると語った。この悪名高き集団―それについてはオースチン・イヴェレイ社の『大いなる改革者(the Great Reformer)』に書かれている―はヴァチカンの「ゲイ・ロビー(同性愛運動組織)」の中心メムバーたちから成り、それは2014年から2015年に開かれた家庭に関するシノドスで混乱を引き起こしたその同じメムバーたちである。イヴェレイ・ブックスは、ホルヘ・ベルゴリオ枢機卿(後の教皇フランシスコ)を教皇に選ばさせるべく、マーフィー・オコーナー枢機卿が先頭になって行なわれた猛烈なロビー活動(根回し)のことを明らかにした。最大30名の枢機卿が関わった。イヴェレイ・ブックスによれば、「先ず彼らはベルゴリオの選出を確実なものにし」それから次に「彼らは枢機卿たちの夕食の場を渡り歩いて自分たちの推す人間を売り込む仕事にとりかかった」このことは、マーフィー・オコーナー枢機卿とオマリー枢機卿の場合は「ウォールストリート・ジャーナル)2013年8月6日付のリポートで確認された。

コンクラーベが近づくにつれて、彼らは一連の秘密の会合を持った。「彼の運動団体がレーダーをかい潜っていたため、集会の週に動き出したベルゴリオ集団は、メディアに知られることはなかった」とイヴェレイ・ブックスは指摘する。コンクラーベ近く、またその期間中に熱心な駆け引きや投票依頼活動があったことはあきらかであり、これは、コンクラーベを行なう上での規則を定めた、教皇ヨハ ネ・パウロⅡ世の使徒憲章『ウ二ヴェルシ・ドミニチ・グレジス』(神の全民)にあからさまに違反する。使徒憲章の中で教皇は、選挙権のある枢機卿の間での投票依頼活動は厳しく禁止されるとし、またそのような活動は選挙を無効なものとする、ということを言明している。その主要な文節は以下の通りである。( 「教皇フランシスコの選出にまつわる疑問2 」へ続く)
































































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