巡礼記

巡礼記

M・Dさんは女性です。






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2018年7月25日



熊本巡礼記 1
本物の陣中旗、ぜひ見たいものです。天草四郎時貞もその陣中旗に確かに触れたことでしょう。(管理人)

熊本巡礼記 1
(寄稿 M.D.)

「今回の巡礼のきっかけ
前回天草へ巡礼に行った時、天草キリシタン館では、天草四郎時貞の陣中旗のレプリカが展示されていました。その展示の脇に、現物の一般公開が年4回あるとの掲示があり、ぜひ本物が見たいという思いで今回の巡礼を決めました。また、前回できなかった、Aさんと一緒に祈りを捧げることも目的でした
後に、Aさんから小笠原玄也一家という殉教者の墓地のことを教えていただき、そちらを訪れることも目的の1つとなりました。

2016年11/4 9:45着 10:00ミサ C教会
この日は初金だったので、御ミサに与り御聖体を拝領したいと思い、C教会へ向かいました。ひどく道に迷い、御ミサに間に合うかひやひやしましたが、なんとか15分前に到着しました。

この日は大聖堂はカギが閉まっており、所属の信者の方に、信徒会館内のテレジアの間にて御ミサが行われると教えていただきました。


その部屋に入ると、皆さんでロザリオを祈っているところでした。初金の御ミサの前にロザリオを祈っているとは、素晴らしいなと思いましたが、ベールを被っている方が1人しかいらっしゃらず、私としては予想外なことで暗い気持ちになりました。以前天草で御ミサに与った時には、女性は全員ベールを被っていらっしゃったので、熊本県の教会ではベールに関して安心していたところがあったのですが、天草という場所柄だったためなのでしょう。

御ミサが説教まで進むと、話し合いのような説教の時間だったので、ただただ驚
いていました。(「・・・はどうかな?」のように質問され、答えるというような。)};

thumbnail_宮津海遊公園

また、焼き物のカリスも、初めて見て驚き、違和感を感じましたが、それは今までカリスは金属製が当たり前だと思っていたせいかもしれません。

集会室のような一室での御ミサだと、御ミサを捧げるには難しい空間であるように感じました。話をしてしまう場所には、それなりの理由があるものです。祈るためには、特に御ミサを捧げるためには、荘厳な空間が大切だと痛感しました。

11/4 12:15着 宮津海遊公園→天草四郎メモリアルホール
天草四郎の出生地との説のある大矢野には、天草四郎メモリアルホールがあります。前回往き切れなかった場所の一つです。

この日は晴天で暖かかったので、まず近くの宮津海遊公園へ行き、大変よい景色の中を歩きながらロザリオを祈りました。

天草四郎メモリアルホールは、資料館というより、体験的に学べるテーマ館といったほうがいいと思います。なぜ「自由と平等」を求めて革命の戦いを起こすに

thumbnail_天草四郎メモリアルホール

至ったのかという観点で、島原・天草一揆での天草四郎と民衆の姿を、映像やジオラマで見ることができました。しかし、天草四郎が美少年で、傀儡であるということや、魔術を使ったなどという説明を聞くと、曲解されている印象を強く受けました。また、「自由と平等と博愛」に焦点を当て、フランス革命と比較している展示を見ると、更に論点がずれてしまっていることに対して、非常に残念に思いました。

11/4 15:30着 カトリック本渡教会
現在天草地区は、1人の司祭が3つの教会を掛け持ちしている状況です。
前回崎津教会を訪れた際に、他の教会でも御ミサに与りたいと思いましたが、

thumbnail_カトリック本渡教会

今回は主任神父様が長期海外出張中という、残念な時期に訪れてしまいました。せめて御聖体訪問でもと考えて、本渡教会へ立ち寄りました。

落ち着いたいい雰囲気の教会だったので、この後まだ予定があったにもかかわらず、気付いたら1時間ほど祈っていました。

神父様が、3教会掛け持ちになる前のミサの予定を見ると、当時は毎日御ミサがあったようです。それが今は、週3回に減ってしまったと、たまたま教会で奉仕されていた方に聞きました。司祭不足の状況を思い、悲しい気持ちになりました。


11/4 17:30着 天草キリシタン館
キリシタン墓石群を訪ねようと、鬼の城キリシタン墓碑公園へ車を走らせたところ、駐車場から草が自分の腰辺りまで伸びていて荒れ放題、先に入るには相当な勇気が必要でした。辺りも薄暗くなり始めていたこともあり、引き返して天草キリシタン館へ向かいました。
今回は、この陣中旗の現物展示のために、熊本を訪れたと言っても過言ではありません。本物の陣中旗というだけで特別で、レプリカを見たときと違う感動があるかと思っていましたが、実際はそうではありませんでした。至って落ち着いた気持ちで、陣中旗を見ていました。

そして目を閉じて、この陣中旗を掲げて、キリシタンたちが信仰のために戦ったことを、思い巡らしました。私たちも、この守るべき信心を表す天草四郎の陣中旗を掲げ、祈りを武器として信仰のために戦うことになるのだと思いました。

その後、丁寧に布を縫い合わせてある箇所や、旗が損傷している箇所などを見つけると、前回訪問時には、全くそういう箇所に気付かなかったなと思いました。

しばらくして目に留まったのは、御聖体の上部のあたりの損傷の激しさでした。その損傷は、私たち人間が、御聖体を傷つけていることを表しているように思え、それが天の意向だと信じると心が締め付けられる思いがしました。それとともに、ますます、御聖体への信心を堅固にしなければならないと、胸に刻みました。

時間の許す限りロザリオをその場で祈り、宿泊先へ向かいました。

(2017年3月12日)







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