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百千鳥

ここ数日の投稿




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投稿先
aza.c@live.jp

大警告ーマリア・ディバインマースィー

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2018年12月15日


以前このサイトで「母の日常」という記事を読んだ。
この女性がうらやましかった。

私は、母の存在が、重い。
母の毒のような話を聞くたびに、心がずたずたに潰されそうになる。
だから実家にはあまり顔を出さない。
最低限の義務は果たしていると思うが
母のさみしさをいたわるよりも、自分の心を守る方を選んでいる。

聖母マリアなら決して自分を優先することはなさらないと思うけど
私にはできない。

私はカトリックだけど孝行娘ではなくて、心の中はドロドロしている。

このドロドロがいつの日か一瞬で消えますようにと
それを願って今日も祈ろう。
母も私も清くなりますように。(エリィ



 

2018年12月8日


祝!無原罪の御孕り

いと清き聖マリア!

神が彼女をお選びになられたというまさにその事実が、マリアよりも聖なる者はいなかったということを示している。もしどんな汚れでも彼女の霊魂を損っていたならば、もし他に彼女よりも清く聖なる乙女がいたなら、神はマリアを拒絶しその乙女を選んでいただろう。(サルグのヤコブ6世紀)


2018年12月7日


ニュース

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ドイツで難民がカトリック司祭を金属の十字架で殴打し、殺害

聖母:わが子供たちよ、信仰のために苦しむ者はこんなにも少ないのですか。わが子供たちは、必要ならば信仰のために苦しみ、殉教するでしょうか。あなたたちは、わが子供たちよ、殉教は即、天国に入るのだということを理解していません。そのために戦う価値はありませんか。(1978年11月20日 聖母のベロニカ・ルーケンへのメッセージ)

メルケル首相が数百万人の難民を受け入れると聞きドイツにやって来た27歳の亡命希望者が、今年の2月にベルリンの54歳の司祭アレイン・フローレント・ガンドロゥ神父の頭蓋骨を金属製の十字架で砕き、喉を傘で突き刺し殺害したと自供。カメルーンから来たこの難民 、ロイック・シンドバッドはキリスト教徒だが、同時にブードゥー教、ブラックマジック、魔女をも信じているという。悪霊に憑りつかれている兄を心配し兄の元を訪れ、自分にも悪霊が入り込んだと感じ、司祭を訪れ、助けを求め一緒に祈ってくれるよう願った。祈りの最中に、その司祭は疑わしいという声を聞き、彼は司祭を十字架で殴り、傘で喉を突き刺し殺害した。(TLDニュース ポストマン)



 

2018年12月6日


霊魂の働き

霊のあるところに、知・情・意があります。霊は、「私」という自己意識の場であり、すべての思考、感情、心や思いの源泉です。

ちょうど空気のあるところに風があり、風の音、風の力が生じるように、霊のあるところに、「考える」「思う」「喜ぶ」「悲しむ」「慕う」「怒る」「決意する」などの精神活動(精神現象)が起こるのです。(「キリスト教読み物サイト」より 静香)



2018年12月5日


ニュース

ゼン枢機卿

香港のゼン枢機卿―「ヴァチカンは、中国共産党政府が地下教会を壊滅させるのを助けている」

聖母ー「わが子供たちよ、私が過去に警告したことは、ローマで急速に進んでいます。666のエージェントは今や聖庁を完全に支配しています。おおわが子供たちよ、あなたたちの教皇のために、祈りに祈るよう私は、あなたたちの母として乞い願います。司教たちのために多くの償いをし、償いの祈りをしなさい。サタンは多くの司教の心を汚してしまいました。永遠の都ローマのドアは開かれ、デーモンたちが、わが息子の家を破壊するために入り込んだのです」(1977年6月18日 聖母のベロニカ・ルーケンへのメッセージ)

2018年11月22日のフランスのウェブサイト「ラ・クロワ」のインタビューで、ヨゼフ・ゼン枢機卿は、9月22日のヴァチカンと中国の協定は、中国地下教会にとって破壊的なものであると語った。(TLDニュース ポストマン)



 

2018年12月4日


ニュース

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ロシア、もう一つの「殺人衛星」を軌道に乗せる!?

イエズス:わが子よ、今の時、ある国がある人工衛星を保有していることを世界が知ることは急を要する。近いうちに、彼らが(その人工衛星の)実験をすることで多くの者たちに大きな悲しみをもたらすだろう。おお、わが子供たちよ、あなたたちの知識、武器を追い求めることが、自らを滅ぼす武器を生み出すのだということをあなたたちは悟っていない。(1977年10月6日 主イエズスのベロニカ・ルーケンへのメッセージ)

 ロシア軍当局は、2018年11月30日に三つの通信衛星の打ち上げに成功したと発表。しかし米軍の複合スペースオペレーションセンターによれば、そのロケット発射で、もう一つの未発表の人工衛星が打ち上げられた。(TLDニュース ポストマン)



2018年11月15日


死者の月も半月過ぎましたが、煉獄の霊魂のための素晴らしい祈りがあるので、紹介させていただきます。

この祈りを1回唱える度に、煉獄の霊魂を1000人救うことができる、という約束があります。

残りの11月に毎日この祈りを唱えれば、1人で15000人もの煉獄の霊魂を救うことができます!


大聖ゲルトルードに対する祈り(公教会認可)

永遠の御父よ、煉獄の全ての霊魂と、いたる所に存在する罪人のため、全教会の中の罪人のため、そして、わが国と、わが家族の中の罪人のために、われは今日全世界で捧げられるミサ聖祭で一致して、御子イエズスのいと尊き御血を捧げ奉る。アーメン。(マスカット)


2018年11月15日


寄せられた感想
2018年11年9日 あおさんへ
やさしいなぐさめの言葉をいただいて、ありがとうございます。

苦しみしか感じなかった、あの時のロザリオですら、聖母はおぼえて下さったと、、、
そう思うと、すべてはやすらぎに包まれる気がします。どうもありがとう。

ロザリオを握ってやすむと良いんですネ。あおさんがマリアさまに見つめられながら、すやすや眠っておられるのを想像しました。

これからは、わたしもロザリオを握って休みたいと思います。
どうもありがとう。

岩ちゃんより


2018年11月5日


クリスマスケーキ

もう7、8年ほど前のクリスマスイヴの日。

買ったケーキの他に誰からかケーキをいただきだぶってしまった。(もしかしたら3個ほど重なった?)
さすがにこんなには食べきれないと思って、よければどなたかに召し上がっていただけないかと思いめぐらして、近所のあるおじいちゃんが頭に浮かんだ。

一人暮らしのその方は当時80歳を超えていて、一人息子さんは独身で東京で働いているという話をその数日前にたまたまお会いした時に聞いたばかりだったので、その方に召しあがってもらおうと思いついた。

普段はその方と特別な交流があるわけではなくあいさつ程度のお付き合いだった。

一人暮らしの方にちょうど良い小さなケーキを選んで、子どもたちを使いに出した。

次のクリスマスの日の朝。おじいちゃんがうちに来て、インスタントの抹茶ラテが山盛りはいった袋を下さった。ご自分の好物のおすそ分けだと、そして
「昨日はわしの誕生日でした。うれしかった。」とおっしゃった。
えええ!?イヴが誕生日でしたか!
なんて偶然、神様ってしゃれたことなさるなあとうれしかった。

年が明けて元日の日の朝。郵便受けにおじいちゃんから子どもたちあてのお年玉が入れてあった。

かなり高額。

えええ!?と今度は子どもたちが喜んだ。(エリィ



2018年10月28日


ニュース

マロイ司教

米国イリノイ州のロックフォード教区のデビッド・マロイ司教、自分の教区の司祭に、トリエントミサを挙行する際には自分の許可が必要である旨を通達

2017年1月、マロイ司教は、信徒の「一致」の理由でそのような通達を自教区の司祭に出す。これは教皇ベネディクトⅩⅥ世の教皇自発教令「SUMMORUM PONTIFICUM」に反する。一介の司教が教皇自発教令を廃することなどできはしない。同司教はまた、司祭が会衆を背にして祭壇に向かってミサを挙行する、いわゆる「ad orientem」のミサも、許可を必要とする旨司祭に通達した。すべて信徒の「一致」の理由による。このような司教が現れることも、終りの時の印のひとつには違いない。(ライフサイトニュース ポストマン)



2018年10月18日


反LGBTデモ参加者

2018年10月13日、ポーランドのルブリンで、数千人の反LGBTデモ

「同性愛者が跋扈(ばっこ)し、若者をそそのかすのを許すいかなる国も、滅ぼされるでしょう」(1984年6月30日 聖母のヴェロニカ・ルーケンへのメッセージ)

司祭を含む、ポーランドのカトリック教徒が反LBGTを掲げて立ち上がりました。家庭が、若者の霊魂が護られるよう、私たちは祈らなければなりません。少数派は護られなければなりませんが、LGTBという罪がその「少数派」という社会の人権擁護責務志向に滑り込んだのです。サタンのトリッキーな仕掛けです。(ポストマン)



2018年10月9日


今日寄せられた感想

2018年10月1日 岩ちゃんさん
大変苦しい体験をされたのですね。
聖母は、岩ちゃんさんの苦しみしか感じられなかったロザリオの祈りも、しっかり受け取ってくださっていることでしょう。
そして、岩ちゃんさんのことを心配していらっしゃることでしょう。
これは私がよくすることなのですが、祈る元気がないとき、ロザリオを握って休むことで、
聖母のおそばで休ませていただいている気持ちになります。
おすすめですので、ぜひ聖母のおそばで休ませていただいてください。(あお)


2018年10月5日


思慮深げに遠くを見つめるような目をしながらとんでもないことを語るゲン司教

LGBT擁護のドイツの司教:「私は伝統主義者を司祭に叙階しない・・・」

ミュンスターのフェリックス・ゲン司教は、2018年9月26日、ドイツのフクラで、来たる若者をめぐるローマでのシノドスについて、プレス・コンフェレンスで自らの見解を明確に述べた。―「私ははっきり言って、第二ヴァチカン公会議前の典礼に重きを置く者たちが好きではないし、彼らを叙階しない」

「地上に天国を示すために恵みを与えたわが聖職者たちに次の警告を与える―今、あなたたちは伝統的な典礼に戻らなければならない!あなたたちは、外観が崩れ、内側が腐りつつあるわが家を建て直さなければならない。今、あなたたちは壊そうとしているものを立て直さなければならない!」(ベロニカ・ルーケンへの主イエズスのメッセージ 1975年11月22日)(TLDニュース)(ポストマン)



2018年10月4日


あせた古いシャツを捨てて
新しい服を出す
私も新しくなって
前に進みたい
もっと前をみて進みたい
(さち)



2018年10月3日


ショーンボーン枢機卿

ニュース
ショーンボーン枢機卿―「いつか私は女性も助祭に叙階するかもしれない」

オーストラリアの枢機卿、クリストファー・ショーンボーン枢機卿は、9月28日のヴィエナの聖ステファノ大聖堂での教区の集会での演説で、「いつか私は女性も助祭に叙階するかもしれない」と語った。

「すでに女性の叙階を求める声が上がっている。女性はわが家で、私の代理人として立つことはできない!よくもこの異端をわが家に持ち込めたものだ!私はあなたたち中に潜み、あなたたちをわが神殿から追い出す!」(1975年12月27日、イエズスのベロニカ・ルーケンへのメッセージ)(TLDニュース)(ポストマン)



2018年10月2日


ヨゼフ・ノーマン大司教

ニュース
聖職者による性的虐待の現実に危機感を覚えたアメリカの司教たちが、次々と、保護を願ってミサの後で大天使聖ミカエルの祈りを称えるよう決定しています。大天使聖ミカエルの祈りは1886年から1964年までミサの後に唱えられていました。

ヨゼフ・ノーマン大司教は、教区で、ミサの後で大天使聖ミカエルの祈りを唱えることを決めた、アメリカで6人目の司教です。日本の教会でも、ミサの後に大天使聖ミカエルの祈りを唱えることを司教に要請しましょう。手紙を書きましょう。少なくとも、個人的にでも、席で、ミサの後に大天使聖ミカエルの祈りを唱えましょう。


大天使聖ミカエルの祈り
大天使聖ミカエル、戦いにおいてわれらを護り、悪魔の凶悪なる謀(はかりごと)に勝たしめ給え。天主の彼に命を下し給わんことを伏して願い奉る。ああ、天軍の総帥(そうすい)、霊魂を損なわんとて、この世を徘徊(はいかい)するサタン、およびその他の悪魔を、天主の御力(おんちから)によりて、地獄に閉じ込め給え。アーメン。(大天使聖ミカエルの祈りは、MDMのサイトの「便利印刷」に10月4、5、6日の3日間掲載しますので、印刷する方はそちらでどうぞ)

TLDニュース)(ポストマン)


2018年10月1日


ニュース
9月25日に公表されたところによると、10月の「若者」をめぐるシノドス(世界代表司教会議)に、中国カトリック(共産主義者)
愛国会の数人の司教が参加する。また、性的虐待で訴えられているマカリックがヴァチカンと中国の合意のための協議に関わっていたことも明らかにされた。マカリックはフランシスコの命令で8回中国を訪れている。(TLDニュース)(ポストマン)



☆☆☆


今日寄せられた感想

2018年8月25日 あおさんへ
わたしの投稿にレスとお祈りしてくれてたんですね、、、
まったく気がつかなくてほんとごめんなさい。。
そして、ほんとに本当にありがとう。 うれしくて仕方ない・・・!
ひと月ほどまえ、地獄にいるような苦しいクルシい体験をして、
ロザリオ祈っても平安どころか、苦しみしか感じなくて、、、
神さまと切り離されてのろわれたんだと思った、、、
今おもえばね、
ミッションにばかりとらわれて、じぶんにもまわりにも「愛」を感じられなくなっちゃったんだよ
疲れ切ってたんだと思う・・・
だから神さまに言ったんだよ
 「ミッション休ませてください・・・もうムリです・・・!」
今はひたすら、自分を癒すことに専念してる・・・
天災が激しくなり、中国がヘンな動きをしてるから、
はやくミッションにも戻らなきゃイケナイ・・・って、内心あせりながら、、、
でもでも、まだ本調子じゃない。
でも、はやくメッセージをみんなに知らせなくちゃいけない・・・
あせる、アセル、、、

でも、ミッションはひとりでしてるわけじゃない。
日本中にきっとわたしとおなじ苦しみに耐えてる同士がいるんだよね
そんなみなさんに、今はたよります。
わたし今はミッションできませんが、どうかその間よろしくです。
岩ちゃんより



2018年9月29日


ニュース


2018年9月27日、ヴィガノ大司教が、教皇フランシスコがマカリック枢機卿の性的虐待を知りながら「教会統治における主要な教皇代理人の一人とした」という訴えに応えないことに対して、新たな特別証言(レポート)を発表。(ポストマン)


2018年9月26日


グラチダ司教

ニュース
ひとりの司教、真の教皇を選ぶよう枢機卿団に書簡を送る

レネ・ヘンリ・グラチダ司教は、教皇フランシスコのコンクラーベが、教皇ヨハネ・パウロⅡ世の、コンクラーベに関する規定を定めた使徒的憲章Universi Dominici Gregis(ウ二ヴェルシ・ドミニチ・グレジス)の無効条項に該当するゆえ、新たに真の教皇を選ぶよう枢機卿たちに呼びかける書簡を公けにした。(ポストマン)




2018年9月22日


ヴィガノ大司教のレポートが世に出るまでの経緯8(最終回)(画像:「Xデー」)

Ⅹデー

家で私はセレナと娘たちと話し合う。私にとって彼女たちのアドヴァイスはいつも重要である。私はどうすればいい。

自問の日々だ。私はレポートを読み返す。それは詳細に渡っている、だがそれは出来事をヴィガノの目で見たものだ。読者はそれを理解すると思う。私は大司教の目で見たものを提供しよう、その後で、だれかが反対の意見を言うなら、その人は別の見方を示すだろう。

妻は私に思い起こさせる―「でも、もしあなたがそれを公表したら、それを公表したという事実によって人はあなたが彼の側の人間だと思うでしょうね。それでもいいの」

いいとも。人は私が偏見を抱いていると決めつけるだろうか。忍耐だ。結局のところ、私は偏見をもっているのだ。私がレポーターのときには、私はニュースをレポートし、それで終わりだ。できるだけ無感覚であろうと努める。しかし私のブログでは、私はすでに明確な立場をとっており、近年、教会が示してきたある変化に対して私がどう考えているかを読者はよく知っている。もし公表後にだれかが、ヴィガノが嘘をついていると、あるいは事実を見る彼の目は不完全もしくは不正確であるということを証明する書類を私に提供するなら、私は喜んでそれをもまた公表するだろう。

私は大司教に電話する。私は彼に私の決心を伝える。公表する日にち、時間について私たちは一致する。彼は、同日、同じ時刻に他のブロガーたちも公表するという。彼は8月26日の日曜日に決めた(実際に公表されたのは25日―訳注)、なぜなら、ダブリンから帰る教皇が、機内に同乗するジャーナリストの質問に答える形でレポートに対応する機会があるからだ。

彼は、日刊紙「ラ・ヴェリタ・」がレポートを公表するリストに加えられたことを私に知らせる。彼は既に飛行機の切符を買ってあると言う。彼は国を出るつもりだ。彼は行き先をおっしゃらなかった。私は大司教を捜すまい。彼の使い古した携帯電話の番号はもう使えない。私たちは最後のお別れの挨拶を交わす。

これが事の顛末だ。私の中の疑いが晴れたわけではない。私は良いことをしたのだろうか。悪いことをしたのだろうか。私はそのことを自問し続ける。だが私の心は穏やかだ。私は、ヴィガノ大司教がレポートの終わりに書いた言葉を読み返した―「どれほど教皇がご自分のために祈ってくれるよう私たちに願ってきたかを思い出しながら、教会と教皇のために皆で祈りましょう。母なる教会への信仰を新たにしましょう、一にして聖なるカトリックの、使徒継承の教会を私は信じます!キリストは決してこの教会をお見捨てになることはありません!キリストは御血によって教会を生み出し、ご自身の霊によって絶えず教会に息吹をお与えになられます!教会の母なるマリア、私たちのために祈り給え!乙女なる元后、栄光の王の御母マリア、私たちのために祈り給え!」

Ald Maria Valli



2018年9月20日


ヴィガノ大司教のレポートが世に出るまでの経緯7(画像:サングラスに野球帽)

サングラスに野球帽

今回もまた大司教は私に口止めをしない。彼は私を信用していると思う。結果、彼の求めにより、私たちはもう一度会い、彼はレポートを私に渡すこととなる。

数日後、彼から連絡が来て私たちは日時、場所を決める。彼との約束で、彼と会った場所は言えない。

大司教は、サングラスに野球帽をかぶって現れる。彼は、私が最初にそのレポートを読むときは彼の前で、彼の目の前で読むよう私に願う。彼は言う―「もし納得できないところがあれば、即座に二人で議論できますから」

私は全編を読む。11ページある。彼は私の読む速さに驚き、私を見つめて言う―「どうです」

私は言うー「強烈です。詳細です。よく書けています。ドラマティックです」

彼は尋ねる―「公表しますか」

「司教様、これが爆弾だということを認識していらっしゃいますか。私たちはどうすべきでしょうか」

「あなたにお任せします。考えてください」

「司教様、人々は何と言うでしょうか。あなたは復讐したいのだ、行政やその他のことから解雇されたことに怒り狂っているのだと。ヴァチカン告発文書をリークした卑劣漢だと。皆が言うでしょう、あなたは最悪の保守主義者である上に情緒不安定だと」

「わかっています、わかっています。しかし、それは私にとって重要なことではありません。私にとって重要なことは、真実を水面に浮かび上がらせることです、それは浄化が始まるためにです。ここまで来たら、ほかに道はありません。」

私に迷いはなかった。心の底では私はすでに公表することを決めていた、私はこの人間を信用できると思うからだ。だが私は自問する―「このことは単純な人たちにどんな影響を与えるだろうか。よきカトリック信徒たちに。良い影響よりも悪い影響を与える危険はないだろうか」

私は知らずにそれを声を出して尋ねていた。大司教は答える―「よく考えてください。冷静に見極めてください」私たちは握手を交わす。彼はサングラスを外し、私たちは互いに見つめ合う。

彼が私に公表を強いないという事実、私に公表してほしいという切望を表に出さないという事実が、いっそう私に彼を信用させる。これは策略だろうか。彼は私を操っているのだろうか。(次回最終回に続く)[ポストマン)




2018年9月18日


ヴィガノ大司教のレポートが世に出るまでの経緯6(画像:イタリア、イギリス、アメリカ、カナダ)

イタリア、イギリス、アメリカ、カナダ

前回私たちが会ったこととは別に、ペンシルベニア州の大陪審の調査から明らかになった案件に新たな進展があった。ヴィガノは、大陪審の結論の醸し出しているイメージは正しいと語った。性的虐待は、余人の想像をはるかに越えた一つの広範な事象を生み出しており、この件では圧倒的多数が十代の若い男性をねらった同性愛志向の司祭たちが関係しており、幼児性愛の案件とするのは正しくはない。敢えていうならエフェボフェリア(ephebophelia:成人男性による、思春期の男女に向かう性的嗜好のこと―訳注 )というのが正しい、と大司教は言う。しかし肝心な点は、共謀、沈黙、隠ぺい、そして互恵の蜘蛛の巣があまりにも広く張り巡らされてしまったことで、それを言い表す言葉がなく、アメリカとヴァチカン双方で、すべての高位聖職者たちを巻き込んでしまったという点だ。

私たちは茫然として、ふたたび腰を下ろした。職業柄、私たちはこの案件が扱う内容のような事柄に触れることはあるが、母なる教会の胎から生まれ育ったカトリック信徒としては、このようなことを受け入れることは困難だ。

私の質問は無邪気極まりないものだ―「どうしてでしょう」

大司教の答は血を凍らせる―「それは、パウロⅥ世の語った、サタンの煙が神の家に入り込むその隙間が、今や大きな亀裂となったからです。デヴィルは休まずに働いています。そのことを認めないか、あるいはそのことから顔を逸らすことは大きな罪です」

電話で大司教は二人きりで話したいとおっしゃったのだが、私は、私たちはまだ面と向って一対一で話していないことに気が付く。彼はずっと家族のいる前で語ってきたのだ。私は彼に、妻や娘や孫たちのいない別の部屋へ移動するかどうかお聞きする。だが、彼はいや、ここでいいという。彼は、ありのままの私たち家族に満足しているように思われた。私たちは老人が遠い国の話を語るのを聞いている気がしていて、どこかで、これはみな作り話だと言ってほしいと思っている。しかし、彼が話している世界は私たちの世界なのだ。彼は私たちの教会のことを語っている。彼は私たちの高位司牧者たちのことを語っている。

唯一の基本的疑問を拭い去れない―なぜ大司教は私たち家族にこれらの事を話すのか。彼は私に何をしてほしいのか。

今回は私は彼に尋ねた。その答は、彼は、2013年3月に、彼、ヴィガノが教皇に会ってマカリックに関する書類についてフランシスコに知らせたことを初めとする私たちに語った事柄すべての状況を順序立ててつづったレポート(原文ではmemoir-回顧録)を書いた、というものだ。

「それでですね」

「それでですね」と彼は私に言う。「もしよろしければ、教皇が知っていて何もしなかったことを示す私のレポートをあなたにお渡ししたいのです。そして、それを読んだ上で、広く読まれているあなたのブログにそれを発表するかどうかを決めてほしい。私はこのことが知られることを願っています。私はこのことを軽々に行うのではなく、変化、真の回心をもたらすための残された唯一の方法だと思っているのです」

「わかりました。それが渡されるのは私だけですか」

「いいえ。私はもう一人のイタリアのブロガー、イギリスで一人、アメリカで一人、カナダで一人のブロガーに渡すつもりです。翻訳は、英語とスペイン語に訳されます」(続く)(ポストマン)






2018年9月17日


ヴィガノ大司教のレポートが世に出るまでの経緯5(画像:闇に包まれたヴァチカン)

闇に包まれたヴァチカン

私はジャーナリストだ、このような状況での最初の衝動はコンピューターに向い、彼が語ったことのすべてを書きとめることだ。だが私はそうしない。大司教は、私が何を書くことも禁じなかった。実際、その件に関しては何もおっしゃらなかった。しかし、彼が私に何かを打ち明けたということは全くない。そういうことから私は、私との面会は一種のテストであったと理解している。大司教は、私が信用できるかどうか会ってみたいと思ったのだ。

一カ月以上がたち、彼は再び私に電話をしてくる。問題は先回と同様だった。「お会いできますか」

「はい、もちろんです。また私の家に来られますか」 今回は、もうひとりの私の娘、長女とその二人の息子―私の孫たちが同席するがと彼に予告した。

「問題ありません」ヴィガノは言う。「大事なことは、ある時点で二人きりで話せる場所があることです」

そういう訳で前合衆国教皇大使はわが家に戻ってきた。彼は今回、幾分リラックスしているように見えた。彼は、この多少がさつな大家族と一緒にいて楽しんでいる様子だった。ある時点で、彼の携帯電話が鳴った。合衆国からのビデオ通話だった。それは彼の甥だった―「おお、ごめんなさい、叔父さん。お邪魔するつもりはなかったのですが!」ヴィガノは楽しそうに笑みを浮かべながら、彼の携帯で、孫たちを含めたテーブルに就いている全員を映して見せた。「楽しそうなお仲間たちですね!」と彼の甥は言った。それから大司教は私に向けて語りかけた―「この機会を借りて私があなたをどんなに尊敬しているか言いたいと思います」

緊張が解ける。三歳になる孫息子は大司教のまわりを騒がしく動き回り、彼をカルロ・マリアと呼ぶ。ヴィガノは楽しそうにしている、心配事を束の間忘れているようだ。

だが、食事を祝福した後、彼は再び氾濫した川さながらに語り始める。非常に多くの話、非常に多くの状況、非常に多くの人名。しかし今回は、彼のアメリカ滞在中の話により焦点が当てられる。彼は、重大な虐待の罪を犯した前枢機卿、マカリックのことに触れ、合衆国とヴァチカンではそのことを長い間、何年にもわたって誰もが知っていたことを明らかにする。だが皆、それを隠ぺいしてきた。

私は尋ねる―「誰もが、ですか」

頷きながら大司教は、そうです、本当に誰もがです、と答える。

私は他の質問をしたかったが、彼の話の日付、メモ、面会、人名の流れを遮ってまで自分の質問をすることは容易ではなかった。

問題の核心は、ヴィガノによれば、教皇フランシスコも知っていたということだ。しかも教皇フランシスコは、ベネディクトⅩⅥ世によってマカリックに課せられた禁制を笑いとばし、マカリックが何の支障もなく活動することを許した。フランシスコは少なくとも2013年の3月には知っていた、その時、差し向かいでの面会のあいだに、教皇の質問に答えて、大司教は、ヴァチカンにはマカリックに関する大量の文書があるのでそれを読む必要がある旨、教皇に伝えていた。(続く)(ポストマン)



2018年9月16日


ヴィガノ大司教のレポートが世に出るまでの経緯4(画像:アルド・マリア・ヴァリ氏)

アルド・マリア・ヴァリ

彼は強い義務感のある人間だ。少なくとも私にはそう思える。数分後には私たちの間には通うものがあった。

私たちの小教区でカテキスタをする私の妻と私の娘たちは、その信用するに足るいくつもの話に黙って耳をかたむける。私はいつも半分冗談で、良きカトリック教徒は、ヒエラルキーの上層部でどのように物事が決められてゆくかを知るべきではないと言っているのだが、この夜の会話はまさにそれを確認するものだ。それでも私は、大司教をわが家に招待したことを一瞬たりとも後悔しない。この人間、この年老いた教会の僕(しもべ)の悲しみに彩られた証言は、なにか重要なこと―苦しみや混乱のさなかにあってさえ私たちの信仰生活を助けてくれる何かを告げていると私は信じている。

大司教は言う―「私は78歳です、人生の黄昏(たそがれ)を迎えている。人間の裁きに興味はありません。重要な裁きは善なる神の裁きだけです。私がキリストの教会のためになしたことを神はお尋ねになるでしょう。私は、最後まで教会を擁護し、教会に仕えたと神に答えることができるよう願っています」

こうして夜は更けていった。私たち家族は、大司教は皿に何の食べ物があったかさえ気づいていなかったのではないかと思っている。彼は一口食べ、また次の一口を食べる間、決して喋ることを止めなかった。

彼の車まで彼を見送りながら、私は自問した―「しかし、結局なぜ彼は私に会いたいと思ったのだろう」彼への敬意から、また自信のなさから、私は彼に尋ねることはしなかった。しかし、別れの挨拶をする前に彼は言った―「ありがとうございます。私たちはまた会います。私に電話はしないでください。こちらから連絡します」そして彼は車に乗り込んだ。(続く)(ポストマン)



2018年9月15日


ヴィガノ大司教のレポートが世に出るまでの経緯3(画像:夏の宵のローマ郊外)


夏の宵のローマ郊外

暖かな夏の宵、大司教が到着して、私は、記憶では私より年上の男とまみえる。彼は笑みを浮かべてはいるが、何か苦しみを抱えている様子が即座に見てとれる。彼は心に重荷を負っているのだ。

妻と子供たちを紹介し、大司教が食事を祝福した後、緊張を和らげるために、私たちは共通の出身地であるロンバルディア州について軽い冗談を飛ばし合う(大司教はヴァレーゼ、私の家はロー出身)。大司教は一分の遅れもなく約束の時間ピッタリに来られたが、ローマではこれは非常に稀なことだ。

それからヴィガノはすぐに語り始める。彼は教会を憂え、この時代の男女にイエズスの福音を広めるためには働かず、それどころか混乱をもたらし世間的論理に屈している者たちが教会の最高位にいることを懸念する。

それから彼は、ヴァチカン市国行政トップとしての国務長官、ナイジェリアと合衆国の教皇大使の長い経験について語る。彼は多くの人名を口にし、多くの状況について語る。ヴァチカン専門のジャーナリストとしての私でさえが、時々彼の話についてゆくのに困難を感じる。だが私は、彼は語る必要があるのだと理解し、彼の話を遮らない。

私の受けた印象では、彼は孤独な人間で、自分の身のまわりで起きることを眼にして悲しんではいるが憤慨はしていない。彼は、彼が語った人間たちのいづれに対してもひどい言葉は使わない。事実が自らを語る。時おり彼は笑みを浮かべて、私を見る―「私はどうすればいい。何か解決法はあるだろうか」とでも言いたげに。

彼は個人的には私を知らないが、とりわけ私が示す勇気と自由に敬意を抱くゆえに私に電話したのだという。彼は私のブログは、だれもオープンには口にしないが「聖なる宮殿」でも読まれ、評価されていると付け加える。

私が彼にヴァチカン行政の経験で何か聞かせてほしいと言うと、彼は規則を守らせ、口座を整理することで、いかにヴァチカンの金庫からの支出を抑えることに成功したかを語る。

私はコメントする―「では大司教閣下、その
清掃のあとには友人は一人もできなかったでしょうね」彼はまた微笑んで言う―「覚悟の上です。だがもし私がそれをしなかったならば、私は自分自身を恥じたでしょう」(続く)(ポストマン)



2018年9月14日


ヴィガノ大司教のレポートが世に出るまでの経緯2

「ローマは信仰を失い、反キリストの座となるでしょう」(ラサレットの聖母 1846年9月19日)

ヴィガノ大司教

以下は、2018年8月28日にスティーブ・スコジェックによってO.P.Fcomに掲載された、イタリアのブロガー、ジャーナリスト、作家であるアルド・マリア・ヴァリ氏による報告書である。(写真はヴィガノ大司教)

 

☆☆☆



これはヴィガノ大司教がいかにしてそのレポートを私に託したか、そしてなぜ私がそれを公けにする決心をしたかの報告である。
アルド・マリア・ヴァリ


「博士、私はあなたに会う必要があります」

その声の調子は穏やかだったが、なにかを気遣う声だった。電話の相手は、前合衆国ローマ教皇大使カルロ・マリア・ヴィガノ大司教だった。

私は驚きを隠さなかった。私たちは何回か公的集会で顔を合わしたことはあったが、とても互いに知り合いであるとは言えなかったからだ。

彼は、自分が私の熱心な読者の一人であり、私の勇気と、しばしばアイロニーを含んだ明快な表現を評価していると語った。私は謝意を伝え、尋ねた―「なぜ私に会いたいのですか」

大司教は、電話では喋れないと答えた。

「なるほど、ではお会いしましょう、どこがよろしいですか」

私は何の考えもなく単純に、私の事務所か、あるいは私の第二の事務所となっている通りの喫茶店ではどうかと提案した。

「いや、いや、だめです。できるだけヴァチカンから離れた、人目につかない場所がいいです」

もともと私は陰謀論者ではないが、大司教は非常に用心していることが分かった。

「分かりました、では拙宅ではどうでしょう。妻と子供がいますが」

「あなたの家なら申し分ありません」

「お迎えに行きましょうか」

「いや、いや、わたしの車で行きますよ」

そして彼は来た。(続く)(ポストマン)


2018年9月13日


ヴィガノ大司教のレポートが世に出るまでの経緯1

マカリック枢機卿

今年の夏、2018年6月20日、一人の高名な枢機卿が使徒座によって公職から解任された。それは、ニューヨークのローマカトリック大司教区の再調査委員会が、その枢機卿がニューヨークの司祭であったときに、聖パトリックカテドラルにおいて、1971年と1972年に、当時19歳の侍者に性的虐待を加えたとの訴えが「信用かつ実証」できるものであるとの結論を出したことによる。

その枢機卿の名は、9つ以上の大学から名誉博士号を授与された経歴をもつテオドール・エドガー・マカリック枢機卿である。(写真は、2008年、スイスのダボス世界経済ホーラムで語るマカリック枢機卿)

マカリック枢機卿の性的虐待の噂、被害訴えは少なくなく、ニューヨークタイムズ紙が入手した資料によると、最も早い時期の被害の訴えは、1994年に、一人の司祭が、マカリックが「不適切に」彼に触ったことを、ニュージャージ州のメタシェン教区のマカリックの後継司教であるエドワード・T・ヒューズ司教に訴えの手紙を書いている。それ以後、たとえばデヴィッド・ラムズィ神父は、2008年に、マカリックの性的虐待は何十年もの間広く知られている旨を、教皇ベネディクトⅩⅥ世に書簡で知らせている。マカリック枢機卿の性的虐待は多くの司祭、司教、枢機卿に知られていたのだ。

教皇フランシスコが世界家族会議開催のため、アイルランドを2018年8月25、26日に訪れた。その25日にカトリック教会を、世界を震撼させる一通のレポートが公表された。そのレポートは、教皇フランシスコを始め多くの枢機卿がマカリック枢機卿を庇(かば)ってきたことを実名を挙げて告発し、教皇フランシスコは、教皇ベネディクトⅩⅥ世がマカリック枢機卿に課した制裁を無視して彼を登用し続けてきたことを告発、それらの枢機卿や教皇フランシスコの辞任を求めている。この衝撃的告発レポートを公表したのは前アメリカ教皇大使カルロ・マリア・ヴィガノ(ビガーノ)大司教であった。

ここに、イタリアのブロガー、ジャーナリスト、作家のアルド・マリア・ヴァリ氏による、いかにしてヴィガノ大司教がその告発レポートを公表するに至ったかを記した報告書がある。それによれば、ヴィガノ大司教はすでに危険を感じて身を隠していることが知れる。この報告書でヴァリ氏は「(大司教は)既に飛行機の切符を買ってあると言う。彼は国を出るつもりだ。彼は行き先をおっしゃらなかった。私は大司教を捜すまい。彼の使い古した携帯電話の番号はもう使えない。私たちは最後のお別れの挨拶を交わす」と認(したた)めている。(このヴァリ氏による報告書は「ヴィガノ大司教のレポートが世に出るまでの経緯」として百千鳥にアップする予定。それはまるで、スパイ小説の雰囲気を醸し出している)

アイルランドからヴァチカンへの帰路、機内で教皇フランシスコは同乗の女性ジャーナリストから、前日(25日)に世界に向けて公表されたヴィガノ大司教のレポートについて聞かれた。 教皇フランシスコのそれに対する答えは「前代未聞」の答えだった。「あなたの仕事をしなさい」
教皇はヴィガノ大司教のレポートを読んだことを認めた上でその女性ジャーナリストに―「レポートを注意深く読み、あなた自身で判断しなさい。このことに関して私は何も言うつもりはありません…。そのレポート自体が語っていると思います。またあなたには、結論に達するだけのジャーナリストとして十分な能力が備わっていると私は思っています」(続く)(ポストマン)






2018年9月3日


このお年寄り、模範的なカトリック信徒のようです。幸せな老後と見えます。お子さんもよい人間です。今どき、一人住まいの母親を見て、家をのっとる目的で面倒をみるふりをしてやってきては住み着き、はてはその親を老人ホームに入れるなどという小悪人子供夫婦などがいるなか、お子さんも清潔です。

母の日常

今年の夏、結婚以来初めて、実家で母と2人きりの時間を過ごしました。

「夫に素顔は見せない」という昔の人ならではのたしなみを保ち続けていた母は、起きるとすぐに身なりを整えます。お仏壇と神棚と荒神さまにお茶とお水を上げるのが最初の仕事で、必ず声に出して日々の感謝を唱えます。

とても小食で、トースト1枚を食べきれない時はきれいに半分に切ってラップをかけ、「お昼に食べる」とい言います。おいしいものだけ食べてほしい戦後派の私は、こっそり捨てたりします。

ちょっと姿が見えないと思うと、庭掃除やら水やりやらをしています。91際のゆっくりとした動作ではありますが、いつも動いているのです。

不意の来客も必ず上がっていただきお茶を出します。

夕方にはお経を上げて仏様のお茶を下げ、母の仕事は終わります。

鳥がついばむ程度の食事と、週末に何本かのお気に入りのテレビ番組と新聞のクロスワードを楽しみながら、父亡き後の、1人では広すぎる家を守り通して来た母。その日常を初めて見た気がしました。

昨秋に病が分かってから、母は入院せず自宅で過ごすことを決めました。知人や家族と楽しく過ごすことを心がけ、私と過ごした人生最後の2カ月もいつもと同じようにふるまい、「もう十分生きたから」と静かに旅立っていきました。

「さびしかった?」との問いを胸に抑え込み、母の強さと潔さを見習いたいと思っています。

『毎日新聞』より 愛知県犬山市
吉田 寿美 主婦・65歳
(静香)






2018年8月28日


聖ヴィアンネ
自分の望みや感情を犠牲にして御旨を優先する、天国への道とはこれに尽きるわけですが、普通の人間はこれが難しいので、みんな死後に煉獄に行くわけです。

ある時、次のような出来事があった。彼は美しい念珠(コンタツ=ロザリオ)を持っていた。ところが妹のゴトン(マルグリット。ゴトンはあだ名)がそれを欲しがって、御定まりの兄弟喧嘩が始まった。彼は母に言いつけに行った。

「坊や、念珠をゴトンにおやり、天主様の愛のためにね。」

母はやさしく、しかし、しっかりとそう答えた。彼は泣きじゃくりながら、それでもすぐ念珠を妹に差し出した。

四歳の子供にとっては、大きな犠牲だったにちがいない。
(静香―『農村の聖者』聖ヴィアンネ伝 戸塚文卿神父著より ()内は引用者)






2018年8月27日


自宅の工事を業者に頼んだ。
工事の人は丁寧な仕事ぶりで穏やかに話す人だった。
感じの良い人なので他の追加工事まで頼んだ。

後日請求書を持ってきたその人は、玄関で何かもじもじしている。
どうしたのかな、帰らないのかなと思っていたら「お地蔵さんのお祈りをさせてくれませんか?」という。手をかざして何かを祈ってくれるらしい。
お地蔵さんとは?あのお地蔵さんのことか?
突然のことで理解に苦しんだ。キリスト教の勧誘はよく来るが、お地蔵さんは初めてだった。

「うちはもう宗教がありますので」と断った。
「これはお地蔵さんですか?」その人は玄関の白い聖母像を指さして尋ねた。
「これは聖母像です。うちはカトリックです。」と答えた。
「ああそうですか。でもキリストさんでも大丈夫です。うちには(その宗教団体には)アメリカからもキリスト教の人がたくさん祈りに来ていますから」という。

キリストさんでも大丈夫といわれても…と思いながら、丁寧にお断りした。
その人は残念そうにしずかに帰って行った。

悪い人ではないと思う。
その人も苦しんでいて何かに救いを求めていて、それがたまたまお地蔵さんだった。

その人もいつかは本当の神が誰であるのかに気づきますように。
エリィ






2018年8月25日


あおによし
赤にもよし
黄にもよし
(三瓶)


☆☆☆

今日寄せられた感想
「2018年8月18日 岩ちゃんさん。 メッセージを信じている方への出会い方が、奇跡ですね。岩ちゃんさんに対する、天のお恵みを感じました。

お互いに辛いこともありますが、天に信頼してお捧げしましょう。岩ちゃんさんのためにお祈りしています。

ロザリオを祈っているもの同士が祈りにより、支えあえたらと思います。」(あお)





2018年8月24日





日本の夏、修道院の歴史を読んで―

いつの世も
致命的なる
不徳とは
自我捨てきれぬ
不従順
(明子)






2018年8月23日


聖ヴィアンネ
唱和18年発行の『農村の聖者』聖ヴィアンネ伝という本があります。著者は、戸塚文卿神父。戸塚神父の文章がよい。生後15か月の聖ヴィアンネのエピソード。文中の「ソップ」は「スープ」のことでしょうね。聖人は赤子のときから違う、ということでしょうか。失望しないでください。聖人は一夜にしてなれるものではありませんから。(   )内の振り仮名や説明は引用者。旧漢字は新漢字にした所があります。

彼の嬰児(おさなご)時代、次のような記憶が残っている。彼は生まれてまだ十五ヶ月にしかならなかった。しかし既に、彼は母に扶(たす)けられて、小さな手で十字架の印をすることを教えられていた。

ところがある時、母が彼にソップを与えようとして、その前に十字架の印をさせることを忘れていた。嬰児は頭(かぶり)を振って、どうしても口を開かない。母がはっと気がついて、それをさせてやったら、唇が解けた、と言う。
(静香―『農村の聖者』聖ヴィアンネ伝 戸塚文卿神父著より)






2018年8月21日


『修徳生活入門』 S・デランジェラ編より

(つづき)21 あるおこないが、自分の責任で失敗におわった場合、どのような態度をとらなければならないか?

そのときは、
a 神のみまえにへりくだり、
b 自分の過失を認め、ゆるしをねがい、
c その過失を、できるだけつぐなうように務めなければならない。

22 あるおこないが自分の責任に由らず失敗した場合、どのような態度をとらなければならないか?

その場合も、へりくだりの心をもってみあるじのみ旨を認め、彼の栄光にすべてを帰するよう努めなければならない。(つづく)(とびり)








2018年8月20日


川面の上飛ぶみたことのない小鳥
カワセミそれともブッポウソウ
聖母の色と同じ水色
なんて幸せな鳥
みつけた私も幸せだ
神様ありがとう
 (さち)









2018年8月19日


生ぬるい
奴ほど
妙に弁がたち
(三瓶)


カトリックのブログをはしごして








2018年8月18日



百千鳥への投稿 (はじめて!)   

終末のミッションに出会った、三年まえの夏。
わたしはイグナチオ教会に向かってた。
富士山の噴火が10月と知ったので、メッチャあせってた。

四谷の交差点のまえで寝泊りをするホームレスのおっちゃんがいた。
はなしを聞くと、長崎出身の親分さんだって。
「富士山が10月に噴火するよ!」とおっちゃんに言ったけど、やっぱとりあってもらえなかった。

そしたら突然、スクランブル交差点を待っていた若い女性がコッチを向いて、
「その話、知ってますよ!」 と言って、大警告と大奇跡のはなしをしてくれた。

信じられないくらい感動した。

メッセージを知ってから、ひとりきりでがんばってた私。
でも、時どき「このメッセージホントなんかなあ・・・」と迷うことがあった。

そしたら、こうやって奇跡的にメッセージを信じてる人に出会わせて下さったんだよ。うれしかったなあ・・・

あれから2年。まだひとりで頑張ってきたけど、もうそろそろ限界・・・(岩ちゃん)


感想
「 メッセージを信じている方への出会い方が、奇跡ですね。岩ちゃんさんに対する、天のお恵みを感じました。

お互いに辛いこともありますが、天に信頼してお捧げしましょう。岩ちゃんさんのためにお祈りしています。

ロザリオを祈っているもの同士が祈りにより、支えあえたらと思います。」(あお)2018年8月25日





2018年8月17日


「……飛行機は修学院の上空を飛び、付近に爆弾を投下したので、非常な恐怖を巻き起こした。……彼はロザリオを手に、防空壕の入り口に立って全員を勇気づけていた。」

「……頻繁な空襲のとき、防空頭巾をつけ、危険が解除されるまで、ロザリオを唱えながら、落ち着きはらって家の前を行き来していた。」

「……その年の8月9日から15日までチマッチ神父の指導のもとに、東京に残っていた人々のための黙想会が行われたが……突然空襲警報のサイレンが鳴りひびいても、何もないかのように話し続けていた。……近づいてくる爆撃機を指さして立ち上がったものがあった。とうとう彼はこう言った。『よしよし信仰弱い人よ、外に出なさい』と。七十機の編隊は軍事目標めがけて通り過ぎたが再び戻ってきた。チマッチ神父はなにもないかのように神との深い交わりに専念していた。

この黙想会は、ちょうど聖母の被昇天に終わることになっていた。神は、その日のために、当時一番望まれていた平和を用意していた。」

(『ほほえみ、慈愛と祈りの人 チマッチ神父 』 A・クレバコーレ著)(静香)



2018年8月16日



信仰年に伴い、バチカンの内赦院から免償についての知らせが出た

免償とは何か?


自分の頭の中を整理するためにも書こうと思う。

もとは罪が許されたときに課される「償い」が免除されること。

ゆるしの秘跡を受けたりすれば、司祭から「償いとしてロザリオ一連」などと言われる。それが償いだ。

罪の許しは神からいただくが、自分でも償いをする。他人のガラスを割れば、許してもらったとしても、その弁償は自分でする、そのようなものと考えてよい。罪の場合、ほとんどすべてはキリストによって弁償していただいているのではあるが。

あるいは親が代わりに弁償してくれたと考えても良い。親であるキリストが弁償なさり、その代わり、家の中では子供は何か親に対して償いをする。こんな説明ではどうか?

免償には部分免償と全免償とがある。部分免償の方は一部の償いが許され、全免償の方は全部許される。

砕いて言うと、全免償をもらえば、その時に死んだらそのまま天国にいける(ただし大罪のある場合は当然その前にゆるしの秘跡を受けなければならない)。煉獄で果たさなければならない償いがすべて許されるというわけだ。部分免償の場合は、煉獄にいる期間がその分短くしてもらえるが、まだ残っている償いを煉獄で果たさなければならない。もちろん、「免償制度」を知らず、そんなものをもらっていなくても、天国にふさわしい生き方をした人は天国にいけるだろう。

償いにはいろいろあり、祈りのほかに善行とか寄付などもある。寄付行為によって免償を与えていたのが非難されて、誤って宗教改革の時代に「免罪符」などと言われたが、本当は免「償」符のことで、教科書などには「贖宥状」と書かれている。札を買って罪が許されるなどということはありえないし、宗教改革時代でもそんなことはカトリックはしていない。

免償符が問題だったというより、その乱用が問題だったのではないか。

年上の宣教師に聞いたのだが、外国ではかつて(ひと昔前まで)この免償符を死者の棺桶に入れて、死後の償いの苦しみが許されるようにとの願いを込めたのだそうだ。つまり自分で得た免償符を、亡くなった他人のために譲るのだ。

(この場合の免償は、ゆるしの秘跡の償いとは区別した方がいいだろう。ゆるしの秘跡の場合は、償いは自分のためであって、これは果たさなければならない。「免償制度」の免償はそれ以外の場であって、自分のため、あるいは亡くなった他者のためにいただくことができる。)

さて、どうやったら免償がいただけるのか。以下は現代の話しに戻る。

3つの条件がある。詳しくはカルメル会編の『祈りの友』p575-にあるので興味がある人は見て欲しいがここでは簡単に。

1 大罪のないこと。あればゆるしの秘跡を受ける。

2 免償を受けたいという意志。

3 免償を得るために、教会が定めた事柄を果たす。(ある祈りを唱えるなど)

これを見て分かるように、条件は簡単で、一日に何度でも受けられる。しかしこれは部分免償のこと。

全免償を受けたければ条件はもう少し厳しくなる。上の条件に加えて、

1 小罪さえもない心、また小罪さえも犯さない意志

2 ゆるしの秘跡を受ける。当日でなくても前後でも良い。(ある司祭は、日本教会の事情も鑑みてなのか、3週間前後でよいと言っていた。)

3 聖体拝領

4 教皇のために祈る。主の祈り、アヴェマリアまたは自由な祈り。

全免償は一日一回しか受けられない。

「教会が定めた事柄を果たす」とあるが、そのリストがある。例えば全免償なら、聖体の前で少なくとも30分間の礼拝、30分の黙想、とか初ミサを立てることまたはその式にあずかること…。部分免償なら、聖体訪問、墓参り、黙想、種々の祈り…。これらも『祈りの友』に挙げられている。

バチカンの免償に関する1968年の文書によると、免償の対象となる祈りは41種、信心業は26種挙げられている。「信仰年」には、4つの信心業に対して全免償が与えられている。

→カトリック中央協議会

「信仰年」に際して与えられる特別免償に関する教皇庁内赦院教令」

http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/pontifical/indulgence/indulgence10.htm

1968年の発布では、免償の対象となる「行(ぎょう)」に現代らしい新しいリストが加わった。それは、

1 自己の務めを果たし、また生活の苦しみを耐えるに当たって、へりくだって神に信頼し、射祷を唱える(心の中でも良い)者は部分免償を受ける。

2 信仰の動機から、困っている兄弟の奉仕のために自らを捧げたり、または自己の持ち物を慈善の心を持って提供するものには、部分免償が与えられる。

3 悔い改めの心を持って、倫理的に許され自分の気に入った事柄を犠牲にする者は、部分免償を受ける。

簡単にまとめると、

1 生活の忍耐

2 奉仕と慈善


3 節制
(静香―「司祭の方言」より)



2018年8月15日


ニュース

抗議者たち

12日の日曜日、ホワイトハウス前で、「平和」「憎しみではなく愛を」などと書かれたプラカードを持つ抗議者団体が、トランプ大統領への身体的攻撃や殺人をこぞって口走りました。「カダフィのようにしてしまおう」

彼らが掲げる愛と平和はいったいどんな愛と平和なのでしょう。

聖母:あなたの国は、わが子、わが子供たちよ、一人の偉大な政治家を失うでしょう・・・(1083年10月1にのヴェロニカ・ルーケンへのメッセージ)

トランプ大統領のために祈らなければなりません。(ポストマン―TLDニュース)


☆☆☆


通勤電車のいきかえりで一環祈れる
週末に車を運転しながらでも指をつかって一環祈れる
歩きながら
お風呂のお湯をためながら
料理しながらでも
しんどいときは寝ながらでも
すわって祈る時間がなくても小刻みに一連でも
祈る時間は自分で作るもの

義務だと思うと非常につらい
私の祈りをまだかまだかと「待っていらっしゃる」と思うと
応えなければと思う

私たちには
祈れないと言い訳をする時間はあまりない
言い訳はできない
(さち)




2018年8月14日



『修徳生活入門』 S・デランジェラ編より

(つづき)善行ののちに取るべき態度について

20 よいおこないを果たすことができたときに、どのようにしなければならないか?

a ごうまん、虚栄心、また、うぬぼれにおちいらないように努め、
b その善行のすべてを神の光栄に帰し、けんそんのうちに神に感謝をささげなければならない。

神がそのみめぐみとおん助けをもって、私たちを支持しなかったならば、私たちの善行があり得ないということを記憶しなければならない。(つづく)(とびいり




2018年8月13日



ニュース

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カリフォルニア州が、公立大学での堕胎ピル(避妊ピルではない)を学内で売ることを大学に強制することを検討

8月7日付けの、覚醒した落合博光を想わせる、アメリカ合衆国行政管理予算局(OMB)のミック・マルヴァ―二長官の記事とは裏腹に、米国国内では堕胎を促進する動きが根強いです。

RU-486、ミフェプリストン、ミソプロストールなどと呼ばれる堕胎薬が存在し、その危険性についての情報拡散は徹底されていません。これは大学で堕胎ピルを売る許可を与えるのではなく、売ることを強制するということです。

ホーリーという女性は堕胎ピルを飲んだ後死亡しました、その父親の述懐がありますー「私は2003年9月13日、わたしの人生最悪の日にミフェプリストン堕胎薬について初めて聞きました.早朝、仕事をしていると、電話がありました。

看護婦が言うには18歳になるわたしの娘が病院にいて重体だということでした。私は聞き返しました。『どうしたんですか』看護婦は言いました。『パターソンさん、こちらにおいでになったら説明します。できるだけ速くいらしてください』

私は、ホーリーと私が住んでいるサンフランシスコ郊外のリブモアー近くの病院に車を飛ばしました。病院に着くと、娘は特別治療室に入れられ、意識もほとんどなく、喋ることができず、青白く、むくみ、呼吸困難な状態でした

ベッドの傍らに立っている私に、医者は短く説明しました。『できるかぎりのことはしたのですが。こういうことは堕胎ピルを飲んだ結果として時々起るのです』

ホーリーは、堕胎薬を飲み始めて7日目に死にました。その日には、堕胎がなされたことを確認するために「家族計画」(団体名)に戻る予定でした」[ポストマンーTLDニュース)



☆☆☆



一般社団法人「いのちを守る親の会」◆京都本部 ◆<公式ブログ>から転載しました。

中絶児がどれほど残酷な殺され方をされているのか、多くの人は考えません。戦争で、子供たちや赤ちゃんが、残虐な殺され方をした話を聞くと、私たちは非常 な憤りを感じますが、お腹の中の胎児を人工妊娠中絶するということに関しては、まるで病気治療の手術を受けたのと同じような感覚で、それを妊婦さんに勧め たり、本人も仕方のない事だという思いで、それを受けたりします。

しかし、もし戦争における残虐行為と同じくらいひどいことだと思ったら、本当に仕方がないで済まされるでしょうか。手も足も臓器も、6週間で胎児は出来上 がっています。たとえ小さくても、手術後の掻き出された胎児の遺体は、完全な赤ん坊の姿をしていて、しかもそれが切り刻まれた姿で出て来ます。そのあまり の残虐さには、目を覆いたくなります。

胎児は、中絶という言葉を聞くと、心音が上がるという話もあります。まだ言葉もわからないはずなのに、何故か分かるらしいのです。胎内記憶を研究している 池川医師によると、生まれる前の赤ちゃんは、すべて言葉も理解しているそうです。それどころか受胎前からの記憶があるというのですから、人間は目に見える 肉体以前に霊的な存在だということかもしれません。

中絶される胎児は、非常に心音が上がって、中絶器具から、必死に逃げようとあがきます。その悲惨さを、仕方がないなどと容認してもいいのでしょうか。子宮 というのは、子の宮と書きますが、本来神から授かったいのちが宿る神聖な場所であるから、神の命を宿す神の宮という意味だとおっしゃった方もいました。

その神聖な場所で、親から守られるはずの胎児が、親によって殺されるのです。これは胎児にとっても、親、特に母親にとっても、非常な悲しいことであるの は、確かなことです。中絶をした母親の多くは、その悔恨の気持に苦しめられる人が多いのです。それは、自然に反する行為、本来やるべきでない行為であると 心の底ではわかっているからです。

経済的理由で、中絶が行われる日本、一人いるから二人目はいらない、二人いれば、三人目はいらない、そんな理由で親が子を殺す、あるいは外聞が悪いという 事情から殺す、このような中絶で、年間100万人以上の胎児が殺される国は、異例だそうです。平和に見える日本がこのような中絶を繰り返していることを、 マザー・テレサは悲しまれ、日本は貧しい国だと言われました。そして勇気をもって、中絶をやめ、育てられなければ、里親に頼むことで、胎児を殺すことは絶 対にしないようにと、訴えられました。

胎児の悲惨の上に築かれた豊かさなど、本当の豊かさではありません。多くの青少年問題を見てきた人が、非行、いじめ、引きこもり、金遣いの荒さなどの問題児をもつ親は、たいてい中絶経験があるとおっしゃっていました。

霊的な話には、拒否反応のある人もいるでしょうが、そんな話は別としても、下記の記事の悲惨な画像は、文明国を自認する日本において、この胎児殺しが、道義的に決して許されないということを、明確に示しているのではないでしょうか。


 この記事は1カ月に
  100人の赤ちゃん
   をすくっていると言われ
     ている貴重な記事です

 昨日も2人の方から
  お礼の電話がありました
    「知る事の重み」です。)(ポストマン「小さな自然、その他いろいろ」より)

2018年8月12日



『使徒職の秘訣』
D・ショータル著
山下房三郎訳

(つづき)



(つづき)『使徒職の秘訣』、序説でドン・ショータルは三位一体の神そのものである「内的生命」を語ります。この「円満な、みちあふれている、そして終わりのない!」生命。地上の使徒職の効果は、この内的生命を生き抜く度合いによって決まるとドン・ショータルは言います。聖霊への祈りとして彼はしたためます。

光りの聖霊よ、どうぞ使徒職にたずさわる人びとの心に、次の真理を、不滅の文字をもって、きざみつけてください。すなわち―
『かれらの使徒的活動は、あなたを究極の原理とし、イエズスを唯一の源泉とするこの超自然的生命を、かれらが自分自身生き抜く度合いに応じてのみ、効果を生ずるものである』
という真理を」


「超自然的生命を生き抜く」とは、「内的生活」に向うことだとドン・ショータルは言い、「そして、この内的生活とは、一切の慈悲の父、一切の優しさの父なるあなたのおふところでいとなまれる、あなた自身のご生活と、イエズスの聖心のご生活を、できるだけ忠実に模倣し、かつこれに参与することにほかなりません」と言います。神ご自身の生活とは神ご自身の活動と同義です。

序説の最後にドン・ショータルは、聖母の「なれかし」をかれ独自の言葉で表現しています。

ああ、原罪のけがれなき聖処女、使徒の元后なる聖母マリア !  (中略)  あなたこそは、受胎告知の日、聖言(みことば)がご胎内で人となられた瞬間、永遠に不動、永遠に静かな、この“神ご自身の活動”が、御父のふところでいとなまれているのを、静かに眺めておられたのです」&size(18){(つづく) (とびいり




2018年8月11日



聖母の言われる聖母の確かな避難所を徹底的に黙想する。今回は、聖母の避難所。ああ、これを聖母の真の言葉であると信じるひとは宝を手にするひと。プライドがじゃまして信じないひとは将来にバケツの水を浴びせられるひと。


1986年1月1日 神の母聖マリアの祭日 ミラノ

わたしの確かな避難所に
今日、あなたがたは、喜びをもってわたしの神的母性の祭日を祝い、子としての信頼のうちに教会と全人類の平和という大きな賜物を願いながらわたしを見つめています。

わたしは平和の元后です。

わたしは、平和という貴重な善を人類全体に与えるためにお生まれになった御ひとり子の母となるために、天の御父から選ばれました。

洞窟の貧しさのうちに生まれ、飼い葉桶に横たえられたわたしの聖なる御子ご自身こそ、平和そのものでいらっしゃいます。

神と人類との間に平和、それは主によってあがなわれ、それによって主との愛といのちの新しい交わりがもたらされました。

人間同士の間に平和、それは神の子供として、主の賜にあずかり、同じひとつの家族の一員となることによってすべての人々は兄弟となりました。

わたしの御子イエズスは、わたしがあなたがたの母であることをも望まれました。こうしてわたしは、イエズスによってあがなわれ、救われた人類の母となったのです。

わたしの役目は、母として、歴史の経過のなかで、わたしのすべての子供たちの出来事に付き添ってゆくことです。

さらに特別な方法によって私は、洗礼の秘跡、信仰と恩恵の賜を通してイエズス御自身のいのちに親しく導き入れられ、その神秘体を構成し、イエズスの教会に参与している人々の母なのです。

わたしは教会の母です。

母としてのわたしの役目は、歴史の推移において、教会の地上における全ての出来事に付き添ってゆくことです。

そして、その痛ましい歩みのあらゆる状況において、わたしはいつも教会に、確かな避難所、わたしの汚れなき心を捧げてきました。わたしの汚れなき心は、あなたがたへのわたしの処女的、および母性的愛のすべてを包含しています。

わたしの汚れなき心は、あなたがたに助け、慰め、そして守護を与えるために開かれます。

わたしの汚れなき心は、救いと平和の神のもとへあなたがたを連れていくために、あなたがたひとりひとりにとって、最も確かな避難所、そして道となります。この新しい年、あわれな人類にとって意味深く痛ましい出来事にあふれた年、すでに鎖を解かれた悪の力のなすがままに任されたかのようなこの年の初めにあたって、わたしはあらためてもう一度、わたしの汚れなき心の確かな避難所に入るようにと、全ての人を招きます。

― わたしの確かな避難所に、主からある残酷な殉教の証を捧げるようにと呼ばれた人々が入ります。

殺害された後、わたしの母の腕のなかに抱き取った最初の殉教者ステファノから、現代も今だに自分自身の生命を捧げる人々に至るまで、多くの殉教者の群れが、自らのほうむりの時に新しい力と勇気を受けるために、わたしの汚れなき心の避難所に入ります。

― わたしの確かな雛所に、福音を理解し、生き、それを全ての人々に告げるように導くための光と知恵の霊をそこで得られるように、無数の信仰告白者の大群を集めます。

― わたしの確かな避難所に、自分の人生の唯一の花婿として選んだイエズスにのみ生き、その汚れのない光の衣に着替えて、小羊が行くところにはどこまでも付き随うことをわたしの処女的母性から習うために、童貞者たちの純白な共同体を形成します。

― わたしの確かな避難所に、福音的勧告の歩みに従がって主に自分を捧げるようにと招かれた人々が、防衛と保護をもとめます。わたしの汚れなき心の園に育ったこれらのかぐわしく貴重な花を、わたし自身が世話をします。

― わたしの確かな避難所に、イエズスからわたしに委ねられ、特別の愛をもってわたしが愛するすべての司祭達を、配慮と注意をもって世話をします。ここで彼らは、その完成の時に至るまでイエズスを模倣し、生き、そして従うことができるように、わたしから慰めを受け、勇気づけられます。

― わたしの確かな避難所に、多くの危険から守られ、彼らを脅迫するひどい悪から擁護されるように、キリスト信者たちの家庭を保護します。

― わたしの確かな避難所に、子供たちを呼びます。彼らはそこで清さと祈りの雰囲気を呼吸することができるように、若者たちを呼びます。恵みと愛、そして聖成のうちに成長するために彼らが助けを受けれるように、罪人たちを呼びます。そこにあわれみと赦しを見いだすように。

病人たちを呼びます。健康になることができるように。臨終の人たちを呼びます。わたしの汚れなきみ心の天の扉を通って地上から天国へ移り住むことができるように。

― わたしの確かな避難所に、特にあなたがたはみな、わたしの愛する子供たちよ、わたしから防衛され守られるためにそこに入らなくてはなりません。今あなたがたは、浄化(きよめ)と大いなる苦難の決定的な時期に入りました。これからいろいろな出来事が、その完全な遂行に向って急速に展開されてゆくでしょう。

わたしの秘密の数々は、あなたがたが生きるようにと招かれた様々な出来事そのものによって啓(あか)されていくでしょう。

そのために、今あなたがたを待っているすべての事柄を、わたしは母としての心をもって見ています。それで、こうしてもう一度、教会と人類全体がわたしの汚れなき心の確かな避難所に入るようにと招きます。

そこにおいてのみ、わたし自身から守られ慰めを受けるでしょう。

そこにおいてのみ、平和を見いだし、喜びをもって希望に輝く敷居を越えることができるでしょう。

至聖三位一体が、この最期の時期に救いの箱舟としてあなたがたにくださるわたしの汚れなき心と言う確かな避難所の中で、信頼と祈りのうちに、世界にそのみ国をもたらし、全てのことを新たにされるために来られるイエズスの、栄光ある再臨を待ちましょう。幸いなる希望とわたしの御子イエズスの栄光の来臨が成就されることを待ちながら、この新しい年の初めに当たって、父と子と聖霊のみ名によってあなたがた皆を祝福します。(『聖母から司祭へ』)(ファーザーN)


☆☆☆


2018年8月10日



家の集などいひて、歌よむ人こそ、書きとどむことなれ、これは、ゆめゆめさにはあらず。ただあはれにも、悲しくも、何となく忘れがたくおぼゆる事どもの、そのをりをり、ふと心におぼえしを、思い出でらるるままに、わが目ひとつにとむとて、書きおくなり。

われならで誰かあはれと水茎のあともし末の世に残るとも

(建礼門院右京大夫集)(静香)


☆☆☆


エアコンを
テレビのリモコンで押し続ける
アハハと笑われエヘヘと返す
ああはずかしい見てたのか
(さち)




2018年8月9日



以下は、毎日新聞の8月8日朝刊の記事です。

ロザリオによる聖母のご保護を感じることができる記事でしたので、ぜひ皆様に読んでいただきたく、投稿いたします。

シスター道脇

米国による長崎への原爆投下から9日で73年を迎える。長崎県五島市の被爆者でシスターの道脇ミサ子さん(90)は、「思い出したくないけれど、忘れてはいけない」と毎年8月9日に合わせて被爆体験を日記に書き続けてきた。惨禍が二度と繰り返されませんように--。平和の祈りをささげながら、17歳の目で見た「あの日」の長崎を今年もつづる。

五島列島の福江島出身の道脇さんは、1943年から働いていた三菱重工長崎兵器製作所大橋工場で被爆した。工場は爆心地から約1キロ。45年8月9日午前11時2分、小さな鉛玉の検査をしていたところ、窓の外が「ピッカと青く光った」。大事な部品を収める壕(ごう)に逃げ込むと、多くの人がのしかかってきて一時意識を失った。

幸いにもほぼ無傷で、ロザリオ(キリスト教の数珠状の祈りの用具)を握りしめて通りに出たが、周囲は火の海。「私はもうダメだから先に行って」とうなだれる同僚を励ましながら、近くのトンネルを目指して逃げた。

トンネルも危険と言われ、近くの小山に登ると真っ赤に燃える長崎の街が見えた。「この世の終わりだと思った」。翌朝、ボロボロの服のまま工場近くの寮にたどり着いたが、ロザリオはいつの間にかなくなっていた。

列車や船を乗り継いで島の実家に戻ったのは8月15日。近くの水の浦教会付近では、ラジオの玉音放送を聞いた兵隊が「日本は負けた」と口にしながら山の方へ駆けていった。

帰郷後、なじみの深かった水の浦教会の修道院でシスターとなった。本格的に被爆体験を書き始めたのは約20年前からだ。親しかった同僚の名前、食べ物が少なく空腹だったこと、助けを求める人の声--。記憶の中にある光景を何度も繰り返し書き連ねてきた。

一昨年の日記には「原爆で死んでいるはずの私が何故今日まで生かされているのでしょう」と記した。「貧しく、ひもじい中で原爆に遭った。今の人には絶対遭ってほしくないと祈って書いてきた」(マスカット)





2018年8月8日



『修徳生活入門』 S・デランジェラ編より

(つづき)自分のおこないを果たすための正しい方法について

19 私たちのおこないを完全に果たすための特別な方法は、なにか?
それは、
a すべてを定められた順序にしたがっておこなおうとする熱烈な望みをもち、
b 祈りとともに力をつくして果し、
c そのおこないを私たちの最後のものとみなし、
d つねに主のみまえにいることを覚えることである。
e またキリストのご手本をしばしば思い起こし、私たちのおこないをそれにあやからしめるように努めることである。(つづく)(とびいり




2018年8月7日



ニュース

ミック・マルヴァ―二長官

トランプ大統領が命を狙われる理由のひとつ
アメリカ合衆国行政管理予算局(OMB)のミック・マルヴァ―二長官は、7月25日に前オバマ政権がしてきた、外国の堕胎や同性愛に関する政策に資金援助を盾に圧力を行使することを止めると宣言しました。彼は、アメリカ国民の税金が他国におけるキリスト教的価値を減ずるために使われることにうんざりしていると語りました。

「前政権が、サハラ砂漠以南のアフリカの人びとに、『あなたたちが堕胎に反対する法律を準備していることをわれわれは知っている、だがその法律を施行するなら、あなたたちはわれわれの資金を受けることはできない』と言ってきたことには驚きを禁じ得ない。」マルヴァー二は言う、「『あなたたちが同性婚に反対する法律を準備していることをわれわれは知っている、だがその法律を施行するなら、あなたたちはわれわれの資金を受けることはできない』と(前政権は)言ってきたのだ」(ポストマン)




2018年8月6日



『使徒職の秘訣』
D・ショータル著
山下房三郎訳

(つづき)



(つづき)この『使徒職の秘訣』、当時フランスで24万部を売りあげたそうです。この種の本が24万部も売れたということは、小説が100万部売れるとの同じくらい、いやそれ以上にすごいことではないでしょうか。これは本もすごいですが買った当時のフランス国民もすごいということです。翻訳者である山下房三郎師は、そのまえがきの最後に『使徒職の秘訣』の価値について書いておられます。


最後に、本書『使徒職の秘訣』について、一言させて頂きたい。冒頭にかかげたベネジクト十五世教皇の著者へのお手紙により、また、聖ピオⅩ世教皇のすいせんのお言葉によって、本書の価値はすでに決定的ですが、ドン・ショータル師の存命ちゅう八か国に翻譯出版され、フランス本国だけでも、版を重ねること十八回、二十四万部が出ています。現在もなお、読者の数は、増加の一途をたどっています。訳者が、滞仏十年のあいだ、直接見分して驚いたことは、ドン・ショータル師が、いまもなお、ヨーロッパの霊性に、確固たる地歩をしめている事実でした。本書とともに、かれは現に生きているのです。

某枢機卿は、本書をさして”金書””と呼び、これをあまねく在俗聖職者に推奨しました。各修道会もきそってこれを愛読黙想し、宣教師たちはごうごうたる賛否両論をたたかわせながら、それでも本書を座右の書として、その所説に従うのでした。デンマークでは、あるプロテスタントの宣教師が、これを読んでたいそう感激し、ドン・ショータルの教えを、自分の説教の材料に使った、という話もあります。

クレマンソー自身、ドン・ショータルからおくられた本書を読んで、すくなからず感激し、次のような言葉を、著者にかきおくっています。

「あなたの深淵な教えが、ギッシリ凝縮されているこの小型の書物を、友よ、けっして浅い感謝の念をもっては、受け納めなかった。すでに幾枚かは、ページを繰ってみた。大きな尊敬の念をもって、私はこの書物を読むだろう。―清純な魂にのみ払われるべき、深甚な敬意をこめて !」

ポルトガルでは、本書を、カトリック・アクションの指導書に指定したほどです。

わが国でも、そのような役目を、果たしてくれますように。

おわりに、本書の改訳出版にさいして、イニシャチブを取ってくださったサレジオ会のドン・ボスコ社に、読者の一同とともに、心からの感謝をささげます。また、冒頭に見られるとおり、美しい序文をお書きくださった、トラピスト会現総長ドン・イグナチオ・ジーレ師にも、ふかい感謝をささげたい。ジーレ総長は、ドン・ショータル師の直弟子の一人で、目下、日本のトラピスト諸修道院を視察ちゅう。訳者の乞いに応じて、寸暇をおさきになって、執筆してくださいました。

一九六六年 わが主イエズス・キリストのご復活の大祝日

灯台の聖母トラピスト大修道院において

山 下 房 三 郎
 



(つづく) (とびいり



2018年8月5日



聖母の言われる神のみ旨を徹底的に黙想する。今回は、神のみ旨。ああ、これを聖母の真の言葉であると信じるひとは宝を手にするひと。プライドがじゃまして信じないひとは将来にバケツの水を浴びせられるひと。


1984年12月8日 無原罪の聖母のおんやどりの祝日 ドンゴ(コモ)

神のみ旨
特に愛する子らよ、今、あなたがたは天国のよろこびにあずかっています。天国は、これほど特権と、恵みと、聖徳の充満で、神からみたされているあなたがたの天の母のことを見て、喜びおどっています。それにしても、わたしとしては、主のもっともいやしいはしために過ぎないと感じています。

罪のすべての汚れ、原罪の汚れからまぬがれているので、わたしのいのちは、神のいのちの清い反映となっています。

こうして、わたしの魂は、恵みにみたされ、その能力は、神のご計画に完全な程度に従うように、いつも方向づけられています。わたしの心は神のみ旨だけを探し、その愛はいつも、神に向って開かれています。

わたしの心は、喜びと完全な信頼によって、神のみ旨だけを果たすように守られ導かれています。

これこそ、わたしが、きょう、皆さんに教えようと思う道です。もし、あなたがたが天の母の聖徳と、その計画に従いたいと望むなら、次のことを守ることによって、その効果がえられるでしょう。


神のみ旨。これによって、あなたたちも、聖なるものとなることができます。

神のみ旨とは、生活のうちに、ますます完全に神を知る道をあゆむことです。

神のみことばが、あなたがたの精神を養う毎日のかてとなりますように。このみことばを、聖書のなかに探し求め、わたしの子イエズスの福音のなかに味わうようにしなさい。

私は、あなたがたに与える知恵を通じて、聖書の奥義をもっと深く理解するように導きます。あなたがたが聖書を奥深くわきまえ、これを味わい、守り、実生活に現すためです。

神のみことばは、イエズス・キリストのうちに人間となり、いのちとなられたのです。イエズス・キリストは、おん父の示し、「神の本性の型、神の光栄のかがやき」です。(ヘブライ1・3参照)

あなたがたにとって神のみ旨が実現すrのは、愛と完全な信頼をもって、わたしの子イエズスにしたがうことによってだけです。

イエズスの兄弟であり、奉仕者であり、わたしの特に愛する子であるあなたがたは、イエズスをもっと愛し、もっとそのみことばを聞き、もっと彼に従わなければなりません。

あなたがたが、もえるかまどのようなイエズスの愛の奥義に入れば入るほど、罪と弱さのみじめさと、また、すべての不純なところから清められるようになるでしょう。

あなたがたがイエズスを愛し、かれに従うなら、あなたがたも汚れのない清さと偉大な聖徳との道を、いつもあゆむことになります。

罪におちいることがこれからもあったとしても、イエズスのあわれみは、あなたがたを解放し、罪の赦しの秘蹟によって恵みとイエズスとの親密な一致とのいのちをかえしてくださいます。

失望するとき、祈り、とくにご聖体によって得られるイエズスとの結びつきは、あなたがたに力を与え、善をおこなうために新しいエネルギーを注ぎます。

無味乾燥におそわれようとするとき、イエズスとの交わりは、愛とよろこびの新しい、深い経験にあなたがたを開くでしょう。

そのとき、あなたがたも神のみ旨を果たすことができるでしょう。神のみ旨とは、おん父を知り、愛し、これに仕えることにあって、おん子との親密な生活の交わりのうちにこれを行なうことにあります。おん子の神秘を日ましに完全に示してくださるのは、聖霊です。

こうして、あなたがたは、わたしの汚れなき勝利のために私がたてている計画に答えることになるでしょう。この計画は、わたしの子イエズスの愛の国、正義と平和の国においてだけ、実現します。イエズスの神的あわれみによって、すべての悪、すべての罪と不潔が洗い清められ新たにされた世界が神の光栄を、ふたたび歌うことができるでしょう。(『聖母から司祭へ』)(ファーザーN)


☆☆☆


2018年8月4日



『修徳生活入門』 S・デランジェラ編より

(つづき)自分のおこないを果たすための正しい方法について

18 私たちがあるおこないを正しく果たしたというのは、どんなときか?
それは、わたしたちがある行いを、
a 定められた時間に忠実に完全に果たし、
b 勤勉に、善意をもって、注意を込めて、
c 神のみ旨に従がって落着いた態度で果たすとき、正しい意向をもって果たしたのである。(つづく)(とびいり


☆☆☆

「あなたは、世の人々には苦しみというものが全くないとか、あるいはあってもごく少ないとか考えているのか?」(『キリストに倣いて』第12章 (王)




2018年8月3日



『使徒職の秘訣』
D・ショータル著
山下房三郎訳

(つづき)



(つづき)聖人伝などを読むと、自分の死の近づいたことを天から霊感で知らされた人がいることが知れます。聖人ではなくとも、自分の死が身近に迫っていることを予知したように、突然に身辺整理を始めたりする人がよくいます。ドン・ショータル師もそうでした。訳者のまえがきの終わりの方にそのことが語られています。これは「人生は短い。私の人世の終わりがきた。だが死は特別なことではない。一日14万人もの人間が死んでいるのだから」というい意味に解してよいでしょう。


一九三五年九月二十九日朝、例のごとく集会所で説教をするために、修道士たちとともに、列をつくってそこにおもむいている途中、ドアの一歩手前で、ドン・ショータル修道院長は心臓マヒで倒れました。そしてそのまま、霊魂を神にかえしたのでした。その手には、説教の草稿がにぎられていました。それには、次のような文句が書かれてありました。

「Temps modicum, filioli.
Novissima hora est.
140,000 creatures faucees
en un jour !
小さき子らよ、時は短い。
最後の時が来た。
一日に、十四万もの人間が死んでいく!


 かれは、死を想いながら、死を準備しながら、死んでいったのです。善い死をとげるような生き方をしながら、世を過ごしたのです。かれは、神の言葉なる聖霊の剣を手にして、死んだのです。

”主において死ぬ者は、幸いである”
 



(つづく) (とびいり

☆☆☆


2018年8月2日



聖母の言われる罪と罰を徹底的に黙想する。今回は、人間の罪と正義の杯。ああ、これを聖母の真の言葉であると信じるひとは宝を手にするひと。プライドがじゃまして信じないひとは将来にバケツの水を浴びせられるひと。

1985年12月31日 ドンゴ(コモ)わたしとともなるあなたたちの祈り
特に愛された子らよ、この大晦日の夜をわたしとともに祈りのうちに過ごしなさい。

どれだけ多くのわたしの子らが、さわぎと放心のうちに新年を祝おうとこの時間を娯楽と道楽に過ごすのでしょう。

あなたたちは、これに反して、わたしとともに感謝の熱心な祈りを主にささげなさい。
いつくしみ深い主の愛は、きょう、あなたたちのこの時に、このように迷い悩む人たちのためにも救いとあわれみの大いなる計画を全うさせ続けられるのです。

罪は、あなたたちの真の病いです。これは、わたしの子らにますます広がり、利己主義、憎しみ、不潔、そして、あなたたちをつくり、あなたたちを真の仕あわせの道に導かれる神である主への頑なな否定のうちに生活を送らせてしまうのです。

主はあなたたちがそのみ元へ戻ることを召され、今年の間にも、その改心を求めるしるしを、たくさんの方法で行われました。

わたしとともに熱心なつぐないの祈りを主にささげなさい。
不義が厚い氷の層のように全地をおおい、わたしの多くの子らの心と魂を枯れさせてしまいました。

神の正誤のさかずきは、満たされました。すでに超満杯であり、宥めを要求しています。

この世に罪悪の最大の奥義<テサロニケ後2・7)が実現しようとしているこのとき、わたしは、あなたたちを顧み、わたしとともに償いの一団となるよう勧めます。

毎日、あなたたちの祈りと、あらゆる種類の苦しみを、全地あまねく世のすべての罪のゆるしと、つぐないのために繰り返されているわたしの子イエズスの犠牲に合わせて、ささげなさい。

あなたたちは、人類がその神を恐れない生活のために、わが身のうえにまねく罰を、さらにくい止めるためにわたしを助けてください。

すでに新しい時は、間近に迫っています。

わたしは、あなたたちを救いと平和の道に導く母です。

あなたたちは祈り、断食、節制、つぐないをもって、あなたたちを待ち受けるおん父のあわれみがあなたたちのために備える新しい日々を生きるよう、わたしとともに準備しなければなりません。(『聖母から司祭へ』)(ファーザーN)


☆☆☆


客がきて
胡瓜をもいで
味噌つけて
(三瓶)



2018年8月1日



バーク枢機卿

ニュース


■ロザリオの兵士、レイモンド・バーク枢機卿「ロザリオ・コースト・トゥ・コースト(アメリカ全土のロザリオ)」の支持を表明

アメリカでは10月7日に全土でロザリオを祈る運動が展開されています。現在、400を超える当日のロザリオの祈りの集会を開くグループが登録をしています。その数は週ごとに増加しています。バーク枢機卿は言います。「私たちがもっとも問題の多い時代に生きているということは疑いない。人間生活に関する、婚姻や家族に関する、そして良心に関する真理が、個人や社会の生活を脅かす形で疑問を投げかけられています。しかし私たちは主が私たちと共にいてくださるということを知っているので、勇気に満ちています。主は、世の救いのために主と共に戦うべく、戦場の兵士として私たちを呼ばれたのです。ですから私は、10月7日に、全米でのロザリオの祈り―もっとも強力な祈りに加わることで、良き、勇気に満ちた忠実な兵士となるよう勧めます」

また、バーク枢機卿は、聖母の披昇天の祝日から初めて10月7日に終わる「54日間のノヴェナ」も勧めておられます。(ポストマンーTLDニュース)

☆☆☆


いるのなら
茶碗くらいあらってよ

あきらめて溜息
台ふきを壁に投げつける

他人と暮らすことの難しさ (さち)



2018年7月31日



『使徒職の秘訣』
D・ショータル著
山下房三郎訳

(つづき)


岩下-壮一神父

『使徒職の秘訣』の著者、ドン・ショータル師が中国のトラピスト修道院を視察した際に日本に立ちよりました。その時、岩下壮一神父と交わした会話が、訳者山下房三郎師のまえがきに紹介されています。岩下神父の言った言葉は普通のことで何もおかしなところはありません。それに対してショータル師の述べたことも、岩下師に対する皮肉も、嫌味もあるわけはなく、ひたすら、内的生活の充実があらゆる使徒職の実を結ばせるという強い、純粋な信念から発せられたことばであったのです。このショータル師の言葉を聞いて、岩下神父も内心、十分納得したに違いはないのです。

ショータル師は、セフォン大修道院の子院である、中国の、なぐさめの聖母トラピスト大修道院と、よろこびの聖母トラピスト大修道院を、視察したことがあります。その途次、わが国にも来朝されています。一九三〇年のことです。今でも、北海道当別のトラピスト大修道院では、当時のドン・ショータル修道院長のことを、感激をこめて語り合っています。時に、かれは、七十一才の高齢でした。

「わたしどもは、日本のインテリ層のあいだに、カトリシズムの市民権を獲得するため、一生懸命に働いています。おかげで、よい効果が、目にみえて、続々あらわれています」

大学者の岩下壮一師が、こういったのにたいして、ドン・ショータルは微笑しながら答えたそうです。

「イワシタ神父さん、それはけっこう。おめでとうございます。しかし、だれのおかげで、そんなりっぱな成果をあげることができたか、ごぞんじですか。学者さんたちのおかげじゃありませんね、神父さん。
トラピスト修道士たちのおかげですよ。ええ、そうですとも、そうですとも。トラピスト修道士たちの祈りと苦業のおかげなんですよ、神父さん!」

このエピソードは福岡新田原のトラピスト修道院長でいらした、コロンバノ谷上高吉師が口ずから、訳者にお話し下さったものです。谷上師は、親しくドン・ショータル修道院長に接して、霊生の貴重なおしえをうけたまわったいきさつを、老顔を紅潮させながら語りました。

 


(つづく) (とびいり

☆☆☆


おやつに
ミルクのなかにビスケット
よくふやかして!
(三瓶)



2018年7月30日



マーチン神父

ニュース

■アイルランドの一部の司祭たち、8月に行なわれるヴァチカンの世界家族会議に不参加

8月にアイルランドのダブリンで開催される世界家族会議が物議を醸しだしています。ダブリンといえばジェイムズ・ジョイスだが、今は、それよりも、マリア・ディバインマースィーでしょう。

司祭たちがボイコットする理由は、ヴァチカンがかの有名な司祭、同性愛を教会に認めさせるべく活動するイエズス会のマーチン神父(jmjコミュニティーサイト2017年10月参照)を基調演説者として招待したことによります。罪に寛大であろうとする偽預言者の策略の一端が現れていると言えます。ある年配の司祭は、8月に予定されているこの世界家族会議を「キリストの教え以外のものを広めるために操作されている」と言う。(ポストマン―TLDニュース)





2018年7月29日



トランプ大統領

ニュース

聖母:「戦いは、わが子よ、間もなく加速するでしょう。人類の武器による大戦だけではなく、間もなく世界中で宗教的戦いが見られるでしょう」1974年8月21日 ヴェロニカ・ルーケンへのメッセージ)

火曜日のFOXテレビのインタビューで、トランプ大統領は、あまい国境法によってヨーロッパ文化が破壊されているとのみずからの前言を改めて強調しました。

タッカー・カールスンショーで、大統領は語りました―「ヨーロッパの移民政策は、災害だ、ヨーロッパを破壊している。ヨーロッパの文化を破壊しているのだ。
犯罪は増加しているし、なにか手を打つべきだ」(ポストマン―TLDニュース)



☆☆☆


神殿の丘(しんでんのおか、アラビア語: جبل الهيكل‎, ヘブライ語: הר הבית‎)は、エルサレムの旧市街にあるユダヤ教、イスラム教の聖地である。神殿の丘の上にはイスラム教の施設岩のドーム(西暦690年)、鎖のドーム、昇天のドーム、アル=アクサー・モスク(西暦710年)が建っている。神殿の丘の西側外壁がユダヤ教の聖地嘆きの壁である。(ウィキペディア](王)

2018年7月28日



『修徳生活入門』 S・デランジェラ編より

(つづき)17, わるい、または単に人間的な意向とはどのようなことか?

それは、
a 名誉や地位を求め、人目につかないかくれた仕事を、つぶやきと反抗心をもってさけること。
b 罪ではない失敗のため、いたずらに失望や落胆におちいること。
c 自分の善行を人に知らせようとすること。
d 他人の自分に対する考えや判断を過度に気にすること。
e 他人の成功と善行にしっとすること。
f 飲食をむさぼること。
g 反省のない性急さなどである。(つづく)(とびいり



2018年7月27日



使徒職の秘訣』
D・ショータル著
山下房三郎訳

(つづき)

画像の説明

クレマンソー(フランス):1906年から1909年の間、首相となり、軍備拡張や帝国主義政策を推進。多発していた労働争議に軍隊を投入して厳しく弾圧した。イギリス、ロシア帝国と三国協商を結ぶ。

1917年、第一次世界大戦で西部戦線が膠着し、フランス国内に敗戦主義の空気が見られるようになると、レイモン・ポアンカレ大統領に請われ、再度首相に就任し、断固とした戦争政策を強行した。1919年のパリ講和会議では、厳しい対独強硬論、特に多額の賠償支払いを主張し、ヴェルサイユ条約に調印した。(ウィキペディア)


『使徒職の秘訣』の著者、ドン・ショータル師とクレマンソーのエピソードが訳者山下房三郎師のまえがきで紹介されています。

…フランス政府が修道会を迫害し、これを国外に追放したとき、ショータル師はトラピスト修道会の代表者として、時の首相クレマンソーに面会を申し入れ、この大政治家を説き伏せて、ただトラピスト会だけが、国外追放のうきめをまぬがれたことです。

「おまえは何者だ?何しにきた?」
「ハイ、わたしはトラピストの修道士です。これこれの用事でまいりました」

クレマンソーは最初、おおへいな態度で、かれに接したが、だんだんに、この”イモ食らいの修道士”に説得されて、とうとうトラピスト会の国外追放を断念したのです。

「わたしどもトラピスト修道士は、閣下がそう思っていらっしゃるように、けっして財閥でもなければ、大農場主でもありません。わたしどもトラピスト修道士は、神さまの儀仗兵です。ご聖体の衛兵です。なにも怪しいものではございません」
「うん、わかったよ、わかったよ、おまえたち、トラピスト修道士の理想が、よくわかったよ。そしておまえは、トラピスト修道士の理想を、みごとに実現しておる。あっぱれだ。どうだ、友だちになろうじゃないか」

クレマンソーの大きな手が、ショータル師の、断食と苦行でやせほそった、枯れ木のような手を、ぎゅっとにぎりしめたのです。二人の友情は、死ぬまで続きました。ショータル師は、この友情を利用して、教会迫害者のクレマンソーに、どうにかして真理の教えをさとらせようと、必死になりました。真理の伝道者の手紙は、大政治家の机の上に、うず高く積まれていきました。あるとき、クレマンソーは、こんな返事を、ショータル師に出しています。

親しい友よ、私にたいする貴君の、至れりつくせりの友情を、心から感謝する。[神について、人生について、宗教について]、貴君が手紙に書いてあることは、私が考えているのとは全然ちがったものだ。しかし、私はけっしてそのことを、不愉快には思わない。貴君も、私の考えが、貴君のそれと同じでないからといって、けっしてそれを苦にしていないのと同様だ。私は何も自分で願って、この世に生まれてきたのではない。それでも、今日までは、まあどうにかこうにか、やってきたよ。とにかく、われわれの考えは、二人ともそれぞれ違っているのだ。カトリック教会は、おのれと考えを異にする人びとにたいしては、絶対に容赦をしなかったのだけれど、友よ、このついでに私は、貴君に握手を求める―親友として !
一九二六年一月十八日

 
            パリにて  クレマンソー

(つづく) (とびいり


2018年7月26日



真夜中に目がさめ寝つけずもがき苦しむ
そんなとき

試しにロザリオやってみた

何となく試した真夜中のロザリオだけど
あっという間に玄義が終わる
寝たまま祈るロザリオは
これも有効?いいのかな?
たまにはいいか

まあいいか(さち)


―もちろん良いのです。病人はベッドなかでロザリオを祈りますし、体調の悪いときには寝ながら祈る場合もあります。かつて聖母は「ロザリオは走りながらでも祈れます」とおっしゃったことがあります。イエズス様は、暗黒の三日間のときには、平伏してロザリオを祈るようおっしゃっています。(管理人)


2018年7月25日




巡礼記

熊本巡礼記 1
本物の陣中旗、ぜひ見たいものです。天草四郎時貞もその陣中旗に確かに触れたことでしょう。(管理人)

熊本巡礼記 1

今回の巡礼のきっかけ

前回天草へ巡礼に行った時、
天草キリシタン館では、天草四郎時貞の陣中旗のレプリカが展示されていました。その展示の脇に、現物の一般公開が年4回あるとの掲示があり、ぜひ本物が見たいという思いで今回の巡礼を決めました。また、前回できなかった、Aさんと一緒に祈りを捧げることも目的でした。

後に、Aさんから
小笠原玄也一家という殉教者の墓地のことを教えていただき、そちらを訪れることも目的の1つとなりました。

2016年11/4 9:45着 10:00ミサ 島崎教会

この日は初金だったので、御ミサに与り御聖体を拝領したいと思い、島崎教会へ向かいました。ひどく道に迷い、御ミサに間に合うかひやひやしましたが、なんとか15分前に到着しました。

この日は大聖堂はカギが閉まっており、所属の信者の方に、信徒会館内のテレジアの間にて御ミサが行われると教えていただきました。

その部屋に入ると、皆さんでロザリオを祈っているところでした。初金の御ミサの前にロザリオを祈っているとは、素晴らしいなと思いましたが、ベールを被っている方が1人しかいらっしゃらず、私としては予想外なことで暗い気持ちになりました。以前天草で御ミサに与った時には、女性は全員ベールを被っていらっしゃったので、熊本県の教会ではベールに関して安心していたところがあったのですが、天草という場所柄だったためなのでしょう。

御ミサが説教まで進むと、話し合いのような説教の時間だったので、ただただ驚いていました。(「・・・はどうかな?」のように質問され、答えるというような。


また、焼き物のカリスも、初めて見て驚き、違和感を感じましたが、それは今までカリスは金属製が当たり前だと思っていたせいかもしれません。

集会室のような一室での御ミサだと、御ミサを捧げるには難しい空間であるように感じました。話をしてしまう場所には、それなりの理由があるものです。祈るためには、特に御ミサを捧げるためには、荘厳な空間が大切だと痛感しました。(つづく)(M.D.)


☆☆☆


いつまでつづく
墓場まで?
告解をして
また転び
(三瓶)



2018年7月24日



『修徳生活入門』 S・デランジェラ編より

(つづき)16, 正しい意向のしるしは、なにか?

それは、
a 自分の務めをすべてよろこんで果たし、すききらいを捨てること、
b 努力がむくいられなかった場合、むやみに落胆しないこと、
c 自分の善行をできるだけ人に隠すこと、
d 世間の批判と賛辞を気にしないこと、
e 神のみ栄えのために他人がりっぱなおこないをしたときに、ともに喜ぶこと、
f 物質的なことがら(たとえば飲食、睡眠など)について適当な限度をまもること、
g つねに忍耐と落着きをもって反省し、行動することなのである。(つづく)(とびいり



2018年7月23日



聖母の完全な浄さを、徹底的に黙想する。今回は体の清さ。ああ、これを聖母の真の言葉であると信じるひとは宝を手にするひと。プライドがじゃま
して信じないひとは将来にバケツの水を浴びせられるひと。


1985年2月9日 カステルモンテの巡礼堂(ウディネ)(ロザリオの祈りの後)

わたしは、体の清いものでした。それは不潔のどんな小さな罪からも犯されず、つねに守られただけではなく、主はその中に不思議な方法をもって、その神の傑作を輝かそうとおぼしめされたのです。わたしの体は、その母性の役目から、子を生み出すときに開かれ、処女性を失うことになるはずでしたが、しかし特別な特権によって、その完全さは少しも損なわれませんでした。子のようにして、わたしはわたしの子をあなたたちに与えて、しかもおとめの体は無傷にとどまり、そのために、わたしが母となったときにも常におとめの光栄を保ちました。

わたしは出産の前におとめでした。これがわたしに起こったのは、聖霊のおん働きによってのみ行なわれたものであったからです。

わたしは出産のときも、おとめでした。それは、聖三位のおん働きが全うされたときだったからで、神の光のうちに、その神秘のなかにおいて、また神のみ前において、わたしの神である子の出産の神秘が行われたのでした。

わたしは出産の後にもおとめでした。わたしのいとも潔い体のうるわしさを何一つ乱すものはありませんでした。あなた方の天の母の汚れなき魂は、聖三位の至聖なる輝きを完全に映すように定められていましたので、わたしの体には、それを守る使命が与えられていたのです。

わたしのこの特権を、今日たくさんの人たちが、簡単にまた平気で否定するのです。

あなたたちは、これをつねに主張し、守ってください。

またあなたたちすべてが清くあってほしい。

現在、若ものや、成長期のものたちの心に、しかも神にささげられたものの心にまでも、この徳が考えられなくなっていて、わたしの心は、大きく痛んでいます。このいつわりの自由の名目で、この天的な輝きを魂から取り去る行動を、人々に教える人さえもいます。

あなたたちの天の母が、現在、多くの司祭と、神に奉献された人々の生活が不潔になって枯渇してしまったのを見て、どれほど悲しんでいるでしょうか。この恐るべき癌ともいうべきものが、至るところにはびこっているのです。

あなたたちが神のご計画を理解し得なくなり、天の母の声を率直に聞くために、単純な小さなものになり得ない理由は、ここにあります。

清い人たちにのみ神のみ国の神秘が開かれます。

―思いの清い人に。神のご計画を知り、これを謙遜に受け入れるからです。

―心の清い人に。ものごとや被造物また、あなたたちの人間的な限られた理知によって選び、判断させようとして、わたしの光を受けることを妨げる自分の考え方を離れるからです。

―魂の清い人に。あなたたちの中にある神の光を陰らせ、神の神秘を受け入れることを不可能にしてしまう、あらゆる罪の小さな陰からも逃れるからです。

―体の清い人に。独身生活または貞潔の誓願をもって神に身を捧げ、十字架上のイエズスのおん体に、より似たものとなり、わたしの光栄の体をつつむ、無原罪の光に照らされるからです。

特に愛された子らよ、わたしは皆が思い、心、魂と体が、美しさを極めるあなたたちの母に似ることを望みます。あなたたちは、妬みと憎しみの溢れる現在の世界で、人々の魂を暖め、神の生命に開かせるために天下る太陽の光でありなさい。現代の人類に現れた恐るべき雲のなかに、あなたたちは、一条の天の青空を覗かせてください。世界が泥沼への行進となり、腐敗したなかで、あなたたちは潔白の鏡となりなさい。これによって世界がみずからを映し、次第に新しい花園に変わるための助けとなるでしょう。

わたしの特に愛される子らよ、こうしてのみ、あなたたちは、わたしの汚れなき心からくる光となり、あなたたちが生きる恐るべき清めの時を照らし、すべての人々にわたしの現存とわたしの勝利の確かなしるしを提供することができるのです。

父と子と聖霊のみ名によって、あなたがたを祝福します。(『聖母から司祭へ』)(ファーザーN)


☆☆☆


[我々はみな、グローバリズム=ルシファーを崇拝する世界統一宗教と言うことに気が付いています。

彼等はグローバリズムを押し進めすぎました。その結果、我々はみな気づき始めているのです。

トランプ大統領の命の安全を祈ろう。彼は神の指示通りに動いています。]( 「日本や世界や宇宙の動向」より)(ポストマン)




2018年7月22日



自転車の話2

子どもの自転車がこぐたびに凄い音がするという。少し前に転んでおかしくなったと言っていた。

それを我慢して何カ月か乗っていたがとうとう修理に出すという。

修理店から費用の見積もりの電話があったが、大変高額なので、いっそのこと新しく買い替えることにした。

そのとき店員が、とても壊れ方がひどいが交通事故にでも遭われたのですか?ときいてきたので、そんなにひどかったのか?と逆に驚いた。

その夜子どもから詳しく聞いた話。

転んだのは一人でスリップして転んだのではなく、通学途中の他校の生徒の自転車にぶつかったのだという。

相手の生徒は「ながらスマホ」で運転していて、向こうから子どもの自転車にぶつかってきたというのだった。

子どもは寸前で気づいて自転車を飛び降りて無事だったが、相手の生徒は彼の自転車とともに転倒して、その下に、子どもの自転車が下敷きになったという。

相手の生徒は何度も謝りながら、どこか強く打ったのか、とても痛そうに去って行ったそうだ。

自転車を飛び下りなければ、気づくのが一瞬でも遅ければ、子どもも自転車の下敷きになって大けがをしたはずだ。

我が家にあるいくつかの自転車には全て聖ベネディクトのメダイをつけている。

再び天に守られたと思った。

単に子どもの反射神経が良かったからだと言われれば、それまでだけど。(エリィ





2018年7月21日



聖母の完全な浄さを、徹底的に黙想する。今回は思いの清さ。ああ、これを聖母の真の言葉であると信じるひとは宝を手にするひと。プライドがじゃまして信じないひとは将来にバケツの水を浴びせられるひと。

1985年2月9日 カステルモンテの巡礼堂(ウディネ)(ロザリオの祈りの後)

わたしとあなたたちの潔白

わたしの特に愛する子らよ、今日ここでわたしは、暖かい太陽とこの地を囲む高い山々の、潔白さを思わせる雪の輝かしい一日を望みました。ここにあなたたちの天の母の祝された家があるのです。

わたしは、母としての光であなたたちを包み、わたしの汚れなき心から出る光であなたたちを照らします。あなたたちをますます清くするよう、わたしの天上のマントであなたたちを被います。

私は潔白の母です。わたしは、終生おとめである母です。わたしは無原罪の潔白、聖三位の光をこの世に反射する天の輝き、夜をおわらせるあけぼの、あなたたちからすべての罪を遠ざける恵みの母、あなたたちのすべての傷をいやす甘美なバルサムである天国の薬です。

わたしは、すべて美しく、全く清く、全く清い母です。

わたしの清さは、まず何よりも思いの潔白です。ああ、わたしの知性は、つねに主のみ旨を求め、黙想し、守り、これに生きることを志向していました。そのみことばを、私の率直さ、私の処女性をもって受け入れました。わたしは常にそのすべてを理解し、守るように務めました。
&br神の上智のたまものを受けるためにだけ開かれていたわたしの思いは、生涯、疑いや間違いの遠い陰すらも、その完全な処女性をかげらせたことはありません。

このわたしの思いの清さは、わたしをもっとも奥深い心の潔白に至らせる道となりました。

わたしの心は、三位一体の園で、わたしが受け、かつ完全に交換し合った神の愛である太陽のもとに培われた、被造物であるものの処女性と母性の熱情をもって、神の愛を受け入れ、また神にこれを返すためにのみ備えられました。

どんな人の心も、あなたたちの天の母の心がしたように愛することは決してできません。

この心こそ、周囲に天的な潔白と美しさと香りを溢れさせるために、その花びらを開いたのです。

このためにわたしは、心の清い人を特に愛される谷間の白百合であるお方の肉と血をつくることができたのです。

またわたしは、もっとも潔く隣人を愛しました。

イエズスに次いで、あなたがたの母の心ほどに人類を愛することのできる被造物はありません。

このすべての人々に対する完全な愛は、神の、また全世界の母としての役目を溢れ出させる奥深い内心の泉に源を発するのです。

こころの清さによって、あなたたちは、わたしといっしょに、私の生涯のもっとも深い所へ入り、わたしがどんなに清い魂の持ち主であったかを知るのです。

魂は、どんな小さな罪の陰にでもかかり、または被われると汚れを受けます。もっとも小さな小罪でも、その純白さを滲ませ、光の輝きを摘みとり弱めるのです。

わたしは特別な特権をもって原罪を免れ、み恵みに満たされました。

わたしの全存在の間、わたしの魂は、一瞬の時たりとも、小罪といえども罪によって弱められたことは決してありません。完全に輝き、完全に美しく、完全に潔白でした。

神からつくられたすべての魂が霊であり、高められて神の神性にあずかり、三位一体の光を映すのですが、どんな魂も、父と子と聖霊の輝きを、とぎすまされた鏡であるあなたたちの天の母の魂が映したと同じには、決してできないことを悟りなさい。

思いと心と魂の完全な潔白の貴い宝を包むべき被いは、このわたしの体でした。

それでわたしの体も全部が完全な清さの光で包まれていたのです、(『聖母から司祭へ』)(ファーザーN)


☆☆☆

自転車の話1

3年ほど前のある台風の時のこと。
嵐から守られるための祈りを知ってはいたが、きっとこの地方には来ないだろうとたかをくくって祈らなかった。そしたらいつの間にか直撃コースに入っていて、予想以上の強風が来た頃にやっとその祈りを唱えた。
早く祈ればよかったと後悔した。強風がおさまった早朝、当時住んでいた集合住宅の駐輪場を見に行った。

30台ほど並んでいた自転車は、見事に同じ方向に向って倒れていた。

ああ、我が家の自転車も傷がついているだろうなと暗い気持ちで近づいてみて驚いた。

我が家の自転車と、その隣の一台だけが、まっすぐ立っているのだ。

不思議なことに何故かその二台だけが倒れていなかった。

自転車には聖ベネディクトのメダイをつけていた。私は、守られた、と思った。

このときは、となりに立っていた自転車もなぜか無事だったので、神様は関係なくただの偶然といえば偶然なのかもしれない。

でも、守られたと思った方が幸せなので、いまでもそう信じている。(エリィ





2018年7月20日



『使徒職の秘訣』
D・ショータル著
山下房三郎訳


(つづき)『使徒職の秘訣』の翻訳者、ザビエル山下師は、トラピスト会総長のイグナチオ・ジーレに、序文の執筆を願いました。イグナチオ・ジーレは、一九六六年四月三○日付で序文を書き、その中で、教皇パウロⅥ世がシャルベル・マクルーフ修道士の列福式を施行された際に行なった演説を紹介しています。

「すなわち、公会議の終わりに、パウロ六世教皇さまは、シャルベル・マクルーフ修道士の列福式を施行されました。そのときになされた演説のなかで、教皇さまは、とりわけ、このことを強調されたのです。

『宣教師で殉教者であるイエズス会員ジャック・ベルチュ師が、さいきん、列福されましたが、そのあとをうけて、本日、観想に一生をゆだねた、一修道者の列福式をつかさどることは、わたしにとりまして、まことに、よろこびにたえません。公会議の終幕とともに、おおくの信徒は、母なる教会が、キリストのみ国の到来を促進するため、なさねばならぬ使徒的事業に、おのおのの職分において協力しようと、そのことに専心しています。このときにあたりまして、アナヤ修道院の福者修道士が、祈りと、かくれた徳と、苦行と絶対不可欠な役割を、われわれに思い起させるために登場したことは、ほんとに時宜にかなったことだと考えます』

それから、教皇さまは、この聖なる修道士の列福が与えるかずかずの教訓を,’’ひとりひとり’’に、また、すべてのキリスト者に、それぞれ適応したのち、次のようにおつけ加えになりました。『どうか、福者シャルベルが、神のみまえにおける沈黙の生活という、かれ独特の聖性の道を、ご自分の指導の下に、われわれにもたどらせてくださいますように』

そんなわけで、’’神のみまえにおける沈黙の生活’’―この生活のなかにこそ、きのうも、きょうも、永久に代わりなく、’’あらゆる使徒職の魂’’が、見いだされるべきです。」(つづく) (とびいり


☆☆☆&br
;

水筒のふたのロックし忘れて
かばんの中で
とぷとぷとぷ
(さち)



2018年7月19日



これって、お祈りでしょう?

能因入道、伊予守実綱(さねつな)に伴いて、彼(か)の国にくだりたりけるに、夏の初め日久しく照りて、民の嘆き浅からざりけり。神は和歌にめでたもうものなり。試みに読みて、三島に奉るべき由を、国司しきりに勧めければ、

天の川苗代(なわしろ)水にせきくだせあまくだりますかみならば神

とよみて、みてぐらに書きて、社司して申し上げさせたりければ、炎旱(えんかん)の天、にはかにくもりわたりて、大いなる雨降りて、枯れたる稲葉、押しなべて緑にかへりにけり。忽(たちま)ちに天災をやはらぐる事、唐の貞観(ぢょうがん)のみかどの、蝗(いなご)をのめりし政(まつりごと)にもおとらざりけり。(十訓抄)(静香)


☆☆☆


滲む汗
妹(いも)が着たるは
アッパッパ
(三瓶)



2018年7月18日



『修徳生活入門』 S・デランジェラ編より

(つづき)15, 正しい意向をさまたげるものは何か?
それは、
a 利己主義
b 虚栄心
c 人をはばかることなのである。

私たちはおこないの動機についてあやまりやすいものである。正しい意向をもって行っているようにみえても、よく反省してみると、実は私たちのおこない、意向、動機がいやしいものであると認めなければならぬことが、よくある。(つづく)(とびいり



2018年7月17日



『使徒職の秘訣』
D・ショータル著
山下房三郎訳


(つづき)『使徒職の秘訣』の著者は、トラピストの修道院長です。この本に対する教皇ベネディクトⅩⅤ世の言葉は紹介しましたが、この本を推奨するもう一人の教皇がいます。

聖ピオⅩ世教皇のすいせんの言葉

一九○八年、カナダのトロア・リビエール教区のアルカン司教は、当時の教皇・聖ピオⅩ世に謁見をたまわった際、自分の教区の事業について、いろいろの計画を教皇に具申して、そのご意見をあおいだ。

そのとき、聖ピオⅩ世は、次の様におっしゃったのだった。

「愛する子よ、もしあなたが、自分の使徒職を、神に祝福していただき、この祝福のおかげで、ゆたかな収穫を得たい、とお望みになるなら、あなた自身がまっさき、次にあなたの教区の司祭も、協力者もみんな、まずイエズス・キリストの精神に没入しなければなりません。みんなが、深い内的生活に生かされていなければなりません。

この目的を達成するための、最良の指導書として、トラピスト修道院長ドン・ショータル師が書いた『使徒職の秘訣』という書物を、あなたにすいせんします。これにまさる指導書は、ほかにないと思います。

数おおい類書のなかから、特にこれをすすめます。わたし自身、この書物を、座右の書として、いつも愛読し、黙想している次第です・・・」(つづく) (とびいり



2018年7月16日



異端は決して栄えない
なぜか? たぶん
もしも異端が栄えれば
だれも異端とはよばないからだ

(『サタン』 J.B.ラッセル著 野村美紀子訳)(静香)



2018年7月15日



この本を書いている間に、ソ連では信仰が一種の精神病ということになってしまった。またフランスでは、ガール県のヴェストリック・カンディアクの村長が、心身障害者のための休暇施設を閉鎖しようとした。よそからやってくる障碍者を見て、村の妊婦たちが不安をおぼえるというのがその理由である。(『ルルド』パトリック・マーンハム著 遠山峻征 + 石井礼子訳)(静香)


2018年7月14日



イエズスの
どんな罪をも赦すという
御前(みまえ)に誰か向いしか死刑囚
(明子)



☆☆☆

冬はつとめて。雪の降りたるは、いふべきにもあらず。霜などのいとしろく、また、さらでもいと寒きに、火など急ぎ起こして、炭もてわたるも、いとつきづきし。『枕草子』[静香)


2018年7月13日



『修徳生活入門』 S・デランジェラ編より

(つづき)
14、正しい意向は、どのようなときにもたなければならないか。
起床のとき、また日中しばしば正しい意向をもたなければならない。

正しい意向をそとくに新たにするのは、次の場合である。

a まったく別のおこないを始めるとき。(たとえば仕事のまえ、祈りがおわったときなど)、
b 特別な用件や仕事のまえ、
c 動物的な行ないのまえ(たとえば飲食、睡眠など)などである。

そのような場合につぎのような短い祈りを唱える習慣を身につけたい。
「父と子と聖霊とのみ名によって」、「すべてを主のみ栄えのために」「至聖なるイエズスのみ心よ、すべてをあなたの愛のために」、「主よ、あなたのために、またあなたとともに」、「主よ、あなたを愛します)。(つづく)(とびいり



2018年7月12日



『使徒職の秘訣』
D・ショータル著
山下 房三郎訳


(つづき)『使徒職の秘訣』の著者は、トラピストの修道院長です。『使徒職の秘訣』の翻訳者である山下房三郎氏が「訳者のまえがき」にドン・ショータルの短い略歴を載せています。


本書の著者、ドン・J・Pショータル(Don J.P. Chautard, OCSO)師は、一八五八年三月十二日、フランスのブリアンソン市に、反聖職者主義の家庭に生まれました。”反聖職者主義のー”と言えば、すこしいい過ぎかもしれませんが、とにかく父親は、宗教には全く無関心。母親はしかし、たいへん熱心な信仰の持ち主でした。

十七才のとき、ショータル少年は、地上的な成功を夢みてマルセイユ市の高等商業学校に入学、優秀な成績で卒業しました。早速、実業界に雄飛し、ゆくゆくは上院議員になり、政界で一ト旗あげようと意気込んでいましたが、ふとした事件が動機となって、一八七七年四月十四日、南仏エグベルのトラピスト大修道院に入りました。

五月六日、着衣式。一八七九年五月八日、初誓願宣立。一八九七年、南仏シャンバランのトラピスト大修道院長に選出。一八九九年、中仏セフォンのトラピスト大修道院長に選ばれました。経済的に衰退していたセフォンの大修道院を再建するためだったのです。それ以来、ショータル院長は、物心両面に敏腕をふるい、つぶれかかっていたセフォン大修道院は、みるみるうちに復興し、そのうえ、ショータル師を中心とする霊性の道場となりました。と申しますのは、ショータル師の指導を求めて、全フランスの聖職者、信者たちが、長蛇の列をなして、修道院におしよせたからです。(p11~12)(つづく) (とびいり



☆☆☆


嗚呼、いやだ
いやだ、いやだ
あーいやだ
(三瓶)



2018年7月11日



『使徒職の秘訣』
D・ショータル著
山下 房三郎訳

ベネジクト十五世が著者におくられた手紙

「愛する子よ
あなたが、お書きになった『使徒職の秘訣』は、まことにすばらしい書物です。こころから、おめでとう申します。

あなたは、この書物のなかで、使徒職活動にたずさわる人びとには、内的生活が絶対に必要である、その使徒職をみのりゆたかにし、確実に成功させるためには、どうしても彼ら自身が、まず内的生活の人でなければならぬ、ということを、ハッキリと指摘し強調しておられます。また、あなたの書物には、カトリック教会の伝統的教義に基づく教訓と、われわれの時代の精神的需要に即応した実効的すすめが、たくさん思い出されます。

どうか、このりっぱな書物が、おおくの人に読まれますように。そして読む人に、よい効果を与えますように。

尊敬する著者のあなたに、心を込めて、使徒的祝福をおくります。

一九一五年三月十八日
バチカンにて    べネジクト十五世」(つづく)(とびいり



☆☆☆


『修徳生活入門』 S・デランジェラ編より

(つづき)
13、正しい意向がたいせつである理由は、なにか?

それは、正しい(意向が、
a  私たちのおこないが神によろこばれ、そして天において功徳をつむために必要であり、
b  小さなおこないにも価値をあたえ、
c  そして善行となるからである。

神のみめぐみの状態にいる人は神への道を歩んでいるから、正しい意向をもっていると言える。これだけでも私たちのおこないが功徳となるためには、じゅうぶんである。しかしもし私たちのおこないがよくなければ、それだけ私たちの功徳を減じるのである。それに反して正しい意向をもつたびごとに、功徳を増すことができる。

福音書にでてくる一人のやもめは、わずかの金しかささげることができなかったが、その正しい意向のために、神のみまえに大きな価値のあるものとなったのである。(マルコ12・48)。それに反して、たとい、ひじょうにりっぱなおこないであっても、ただ人の気にいるためにのみおこなわれたものは、価値のないものである。「その人たちは、すでにむくいをえたのである」(マテオ6・5)とキリストはファリサイ人に話されたのである。(つづく)(とびいり



2018年7月10日



速報:日本時間今朝十時に、トランプ大統領はワシントン巡回区のブレッド・カバノー判事を最高裁判事に指名しました。(ポストマン)


2018年7月9日



woman-praying.jpg

■死にかけていた若い母親の癌が癒される

1970年代のある早朝に、「永久礼拝の宣教師会」(the Missionaries of Perpetual Adoration)の創立者、アロイジウス・エラクリア神父、C.M.F.のもとに、癌に犯されれて痛む身体で、もう生きながらえる望みのほとんどない、目に涙をためた一人の若い母親がやって来た。

神父は彼女を御聖堂に引き入れて訊いた―「あなたは今までイエズス様に癒してくださるようお願いしたことがおありか」

「いいえ」と彼女は答えた。

「そうですか」と神父は言い、「ではこの御聖体の前にひざまずいて、一緒にイエズス様に癒してくださるようお願いしましょう。イエズス様はじっさいに御聖体の中に現存していらっしゃいます。そのことを信じますか」

「はい!」彼女は即答した。

神父は続けました―「ここにおられる主は、2000年前に地上をお歩きになられ、病人を祝福し、癒された主と同じ主です。ここに御聖体の中に生きておられる主がその同じ主であることを信じますか」

「はい、同じ主であられます」痛みをこらえて彼女は答えた。

「では昔病人を癒すことがおできになった主は、あなたも癒すことがおできになります」

二人は一緒にひざまずいて「天にまします」「めでたし」「ねがわくは」を繰り返し唱えた。

それぞれの祈りを三回唱え終えたところで、夫人は驚きの声を発した―「神父様、これ以上お祈りを続ける必要はないと思います―私…癒されました」

翌日、その若い母親のレントゲン写真が撮られ、驚愕に打ちのめされた医者は言った―「癌に侵されていた細胞がことごとく赤ん坊の細胞のようだ」

これは、アロイジウス・エラクリア神父が御聖体のイエズス様に助けを願って目にした多くの癒しの一例に過ぎないのである。(TLDニュースより)(ポストマン)



2018年7月8日



新しく
生まれるために
朝が来る
古着脱ぎ捨て
今日こそ聖人
(明子)



2018年7月7日



エイミィ・バレット

■エイミィ・バレット、最高裁判事に任命されるか!?

アメリカの最高裁判所は合衆国憲法によって設立された唯一の裁判所であり、連邦の下級裁判所は連邦法よって設立されたものです。アメリカの最高裁判所の判事は9人から構成されています。1人の首席判事と8人の陪席判事です。

この9人の最高裁判事の一人、アンソニー・ケネディ判事(81)がこの7月で退任することになり、トランプ大統領は明後日の9日に、新たな判事を指名することになっています。大統領によって指名された人が上院の賛成を得れば判事として任命されます。

最高裁の判事は終身制です。この7月で退任するアンソニー・ケネディ判事は、他の判事8人が保守とリベラルが4人ずつ拮抗する中で、中道としてキャスティングボードを握る立場にありました。

最高裁判事の任命がアメリカにとって非常に重要である理由は、最高裁の判断がアメリカ社会の在り方そのものを決定するからです。たとえば、1973年のロー対ウェイド(Roe v. Wade)裁判では女性の中絶権を認め、1954年のブラウン事件判決では人種差別撤廃の流れを形成し、2015年には判事が5対4で同性婚を合法とする判決を下しました。

トランプ大統領は、選挙キャンペ―ン中から、中絶を取り下げてくれる判事を任命すると公言してきました。

現時点で9日に指名を受ける候補者は3人に絞られたようです。ワシントン巡回区のブレッド・カバノー判事、第6巡回区のレイモンド・ケスレッジ判事、第7巡回区のエイミィ・コーニ―・バレット判事の3人です。

トランプ大統領は保守を任命すると言っていますから、3人とも保守でしょうが、エイミィ・コーニ―・バレット判事はカトリック信者で堕胎合法化反対論者です。7人の子供の母親でもあり、インディアナ州のノートルダム・ロー・スクールの教授だった彼女をトランプ大統領は第7巡回控訴裁判所(the United States Court of Appeals for the Seventh Circuit)判事に指名し、彼女は上院の賛成を得て現職に任命されました。

もし、彼女が最高裁判事に任命されたならば、(判事は5人の保守と4人のリベラルということになりますが)特に堕胎反対論者であるトランプ大統領の政策の後押しをすることになるでしょう。どうなりますか。

御旨にかなった判事が指名され、任命されるよう祈りましょう。(ポストマン)



☆☆☆

アタマきれ
悪賢い奴らの天下にも
時たま下る
正義かな
(三瓶)



2018年7月6日



教会の
教義変えられ
信徒たち
滝に向って
流るるアヒル
(明子)


☆☆☆

教会がキリストに従うように、妻は夫に従いなさい。キリストが教会を愛し、そのために、ご自身を捧げられたように、夫は妻を愛しなさい。(エヘェソ5-25、)(王)



2018年7月5日



『修徳生活入門』 S・デランジェラ編より

(つづき)
正しい意向について

12、正しい意向とは、なにか?

それは超自然的動機によって、あるおこないを果たし、または中止し、または耐え忍ぶことである。

したがって単に人の気にいるためとか、見えとか、また人の反対をおそれて行動する人は、正しい意向をもっているとは言えない。

超自然的動機とは、
a 神の罰をおそれ、
b 神のむくいを希望し、
c 神のみ旨にかなうことを望むことなどである。

このほかにも正しい意向がある。それは、あるおこないを犠牲の精神とか、節制、正義、愛徳のためにおこなうことである。しかしもっとも貴重な正しい意向は、神に対する完全な愛を動機とするものである。

神に対する愛のために、すべてをおこなうように努めるとともに、また、ほかの意向をもってもいのである。一つのおこないにおいて、いろいろの意向をもつことができる。それによって果たそうとするおこないの価値と功徳をますことができる。

私たちは、自分のおこないを、この世におくだりになった、そしていま天と聖ひつとのうちにおいでになるみあるじのご意向に一致させるようにしたい。(つづく)(とびいり



2018年7月4日



恐怖記憶薄める物質
PTSD治療に期待 東大チーム発見

体験した恐怖の記憶を和らげる脳内のたんぱく質をマウスで発見したと、東京大の森川桃特任研究員と広川信隆特任教授のチームが米科学誌セル・リポーツに発表した。心的外傷後ストレス障害(PTSD)の治療法開発に役立つ可能性があるという。

生物には、臓器や細胞の活動に必要な物質を運ぶ分子モーターと呼ばれるたんぱく質が多数存在する。チームは、役割が不明だった分子モーター「KIF21B」が、脳内で学習や記憶をつかさどる部位「海馬」に集中的に分布することに気づいた。そこで、電気刺激のある部屋で刺激について学習させた上で、KIF21Bを欠損させたマウスと通常のマウスの行動を観察した。

通常のマウスは、箱に入って電気刺激のない日が続くと、体をすくませることなく再び活発に動き始めた。これに対し、KIF21Bの欠損マウスはいつまでもおびえている態度を示し、恐怖の記憶が残っていた。

さらに、KFI21Bが特定のたんぱく質を海馬に運ぶことで、恐怖の記憶を和らげていることも判明。欠損マウスにこの特定のたんぱく質と結合する化学物質を注射すると、通常マウスと同じ行動を取った。

一連の物質はヒトにも存在する。広川さんは、「恐怖の記憶が強く残る人はKIF21Bの働きが低下している恐れがある。災害の多い日本だけに、PTSDの治療につなげたい」と話す。―田中泰義記者(毎日新聞より 改行は引用者)


恐怖と闘うということは恐怖がなくなるということではないですよね。我々に必要なことは恐怖と闘うことです。ドットコム



☆☆☆

あなたたちの中に、苦しんでいる人があれば、その人は祈るように(ヤコブ5―13)(王)






2018年7月3日



雑木が残した物語

意のままにならないことは数知れないが、隣接する他人の土地もまた私の意志ではどうにもならない。家の裏に広がる雑木林は欅(けやき)、椎(しい)、樫(かし)、杉などが雑然と茂っていたが、それでも春の芽吹きは眩(まぶ)しく、夏の木陰は涼しい風を生んだ。時にはやせ衰えた狸(たぬき)などもふらふらと出て来る貴重な緑地だった。

ところが、二年ほど前、三日ほどの旅から帰るとその雑木林が消えていたのだ。木が一本もない。切り株だらけになった空き地の彼方(かなた)に剥(む)き出しのラーメン屋の看板が見えた。

飛び石はどこへ飛ぶ石
つかのまの疑問のごとく暗がりに浮く
石川美南

切り株はさながら飛び石のように夕暮れのさびしい空き地に点々と暮れ残り、私は木々を悼んだ。あの狸はどこへ行ったろう、どこかへ引っ越して来たろうか。日に日に乾いてゆく切り株から命の気配が消え、荒涼と空き地が広がる。何かが終わった風景だった。

しかしある日、気づくと子供たちの笑い声がする。一面に明るくなった空き地で、切り株から切り株を跳んで子供達が遊んでいる。カラフルな子供達の笑い声は一週間ほど続いた。次にやって来たのは椋鳥(むくどり)たちだった。一面に生い茂った烏野豌豆(からすのえんどう)の実をつつき、たらふく太ってまたどこかへ消えた。よく見ていると明るくなったこの空き地には小さな生き物が次々にやってきた。それは消えた雑木林の記憶を湛(たた)えたまま引き継がれる物語で、面白いほど意のままにはならなかった。

そして今年突如として一面に、野薊(のあざみ)が茂った。人の背丈の倍もある薊の株が空地を埋め尽くし、天辺に濃い紫の花をつける。思ってもみなかった薊の森の出現は荘厳でさえある。

この道に立ちつくす樹よ汝よりも長くひそかに生きて來しかな
佐伯裕子

消えた雑木林の木々たち。私よりもはるかに長生きをするはずだった木々が突如死に、私は生き残ってその後の思いがけなさを見続けている。
(川野里子=詩人)(静香)



☆☆☆

耐え忍んで善を行ない、栄光と誉と朽ちないものを求める人に、永遠のいのちが与えられる(ローマ人への手紙2-7)(王)



2018年7月2日



うめの日記

彼女がにっと笑うので、私は、「これでも我慢強くなったんですよ」というと、そう?と笑う。彼女に「腹が立つことってありませんか?」と聞くと、あるわよという。彼女と話すうちに彼女の夫とのなれ初めの話になった。顔をそむけてなかなか話そうとしないので、私は彼女の前にしゃがみ、「はい、ほら、私の顔をまっすぐ見て話しなさい」と友達にするように正面から顔をのぞきこむ。彼女はまた笑う。彼女がなれそめを話し出したようだった。私は「オフィスラブですか?」と聞くと違うという。「どこで知り合ったっけ?トムソーヤコースって知ってる?トムソーヤコース。たしか自動車学校だったと思うけど。二日間で免許取れますと言うコースがあって~」また「大罪の中で生まれた子供だけど子どもまで授かって~」そして私の頬を両手ではさみ、何か大事な事を話す。私たちが座っている眼下に道が見える。一台のバイクが滑って転んだが、大事には至らず起き上がって動こうとしている。(うめ)



様子みて
預言があたれば
信じると
うそぶく君は
町のチャンピョン
(明子)



2018年7月1日



『修徳生活入門』 S・デランジェラ編より

(つづき)
11 同時に二つのおこないを果たさなければならないときには、どうしたらよいか?

そのような場合には、従順によることがらを優先的に果たしてから、自分の選らんだおこないを擦るのがよい。一般的にいって、慈善や愛徳のおこないは、自分の利益のためのおこないに勝っている。そのほかの場合は、より完全と思われるおこないを先に果たすがよい。(つづく)(とびいり



2018年6月30日



真面目に地味にくらして
罪を犯さないと決心してても
一瞬のすきをついて敵は来る
毎瞬が戦い (さち)



2018年6月29日



これ、昔、敬虔なカトリック信者の夫人から、聖油と一緒にもらいました。増やせます!

増やす方法
―種々の聖水、およびいかなる種類の聖油でも増やせる方法―

Ⅰ. ローソクを付ける。
2. 使徒信経1回
天にまします1回
めでたし1回
願わくは1回
を唱える。
3.上の祈りを唱える間、聖水(聖油)3滴を、用意した水(油)にたらす。

※水は混じり気のない真水(水道水など)。油はオリーブ油などの植物油。教会で使う聖水は、真水に一滴たらすだけで、祈りはなくとも聖水になる。(ショウ



2018年6月28日



『修徳生活入門』 S・デランジェラ編より

(つづき)
あるおこないが、そのものとしてはよいものであっても、それだけでしてもよいということにはならない。そのおこないをすることが、適当であるかどうかがわかるために、周囲の事情を考慮しなければならない。たとえば、りっぱな信心行であっても、そのとき他に定められた祈りを唱えなければならないのであれば、その信心行を果たすのは適当ではない。

あるおこないについての疑いが、祈りと反省の後にも続くようなことがあれば、そのおこないは許されたものとしておこなってもよい。もちろんその場合は、そのおこないの正当性を保証するまじめな理由がなければならない。(つづく)(とびいり



2018年6月27日



うめの日記

白い調理服、白い高いシェフの帽子をかぶったシェフが足早にテーブルの間を縫ってこちらへやって来る。左手に丸い銀のお盆、その上に野菜サラダの入った皿が一つ、二つの水の入ったコップ。コップは一つの方が若干大きい。さーっと来て、私の前に立つ。(うめ)



車のなかの
箱いっぱいのローズマリーが
むせかえる
(さち)



2018年6月26日



『修徳生活入門』 S・デランジェラ編より

(つづき)
正しく判断された行ないについて

10,果たそうとするおこないの当否が疑わしいときには、どのようにしなければならないか。
その場合には、
a 時間のゆとりがあれば、祈りと省察によって、また必要があれば経験ある人の意見を求めて、はっきりした判断をすることができるようにすること。
b そうでない場合には、神のみまえにおいて、もっとも適当と判断するところをおこなうことである。(つづく)(とびいり


2018年6月25日



正義より
悪が勝りて
天を仰ぐ
御旨を捜せど
地上にヴェール
(明子)


みんなして
一緒に飛び込む
地獄かな
(三瓶)


見たい映画とスマホを我慢して
一日のなかにロザリオ三環
ねじりこむ
 (さち)



2018年6月24日



祈りなさい、希望しなさい、
心配してはなりません。
ー聖パードレ・ピオ
(王)



2018年6月23日



特報]ダーウィンの進化論が崩壊 : かつてない大規模な生物種の遺伝子検査により「ヒトを含む地球の生物種の90%以上は、地上に現れたのがこの20万年以内」だと結論される。つまり、ほぼすべての生物は「進化してきていない」
投稿日:2018年6月7日

現行の進化論が現実的な崩壊に直面している大ニュースなのに、日本ではまったく報道されないという事実も科学メディア Phys.org の5月28日の記事より

ダーウィンの時代の終焉への扉

この In Deep というブログは、気象や軍事や宇宙や料理や園芸などいろいろ取りあげますけれど、その軸にはいくつかの「主題」というようなものも多少はある部分があります。

その中で現行の科学と関係するものとして、以下に関しては、ずいぶんと以前から主張させていただくことがありました。

下のふたつです。

わりと昔からのIn Deepの主張

・ビッグバン宇宙論の全否定

・ダーウィンの進化論の全否定

の2本です。

ここで、かつてのサザエさんなら「んがっふふ」と言って、お菓子を喉に詰まらせたりしながらも、その説明に入るわけですが、今回はこのうちの「ダーウィンの進化論」について、それが、ついに「全否定」される可能性が強くなったことについての報道です。


これは、アメリカの科学メディアに掲載されていた記事をご紹介したいと思いますが、この研究の方法もすさまじいものです。かつてなかったもので、誰も想像さえしなかったものです。

それは、10万種以上の生物種の DNA と、アメリカ政府の遺伝子データバンクにある 500万以上の DNA の断片を「徹底的に調査した」というものなのです。

そこからいろいろとわかったのですが、最も衝撃的だったのは、現在地球にいる大半の生物(人間を含む)が地球上に登場したのは、10万年〜20万年前の間だとわかった。そして、「中間種は存在しない」。

ことでした。

その部分を記事の翻訳から抜粋しますと、次のようになります。

おそらく、この研究の最も驚くべき結果は、人間を含む現在地球上に存在する生命種のうちの 10種のうち 9種が 10万〜 20万年前に出現したことが明らかになったことだろう。

これはつまり、この地球の生物の 90%以上は「それ以前への遺伝子的なつながりがない」ということでもあり、もっといえば、

・地球のほとんどの生物は 20万年前以降に「この世に現れた」

のです。

これがどういう意味かといいますと・・・。たとえば・・・「現行の科学で言われている人類誕生までの地球の歴史」というものは下のようにされています。

46億年前から始まり、35億年前くらいの最初の生物が誕生し、そこから「徐々に」進化してきた……というものです。

・地球と生命の歴史

しかし、今回の大調査の結果からわかることは、

「徐々に」進化していない

ということなのです。

つまり、20万年より前の部分は、「現在の地球の生物とほとんど関係ない」としか言いようがないのです。


とにかく、ほぼすべての生物種が 10万年から 20万年前に地球に登場しているという可能性が極めて強くなったのです。

今回の調査の方法論と、この結論については、科学的に真っ向から反論することしは難しいように思えるほど、ほぼ完ぺきなものに見えます。

これから科学界はどうするのか……とも思いましたが、このニュースが出て以来の日本の報道を見て少しわかりましたが、どうやら、今は、

「できる限り無視する」

という姿勢なのかもしれません。

何しろこれだけの内容が提示されているニュースなのに、日本語の報道がほぼないのです。

もともとがアメリカの AFP 通信社の特報記事として報じられたものですので、日本の AFP にはその後掲載されましたが、今のところ、どうもそれだけしか見当りません。科学メディアも含めてです。

第一報から 10日ほど経過していますので、今さら出てくることもなさそうです。

まったく報道されていないのです。

こんな大きな出来事がどうして? とも思いますが、いずれにしても、現実として、日本語ではほとんど報道されていないので、ご存じない方も多いかもしれないと思い、ご紹介しようと思いました。

ダーウィンの進化論というのは、地球の生命の仕組みを見る限りは、存在し得ないものですが、それがやっと科学的な検証によってその事実が証明されたことになるわけです。今は亡きフレッド・ホイル博士もこのような調査が行われることを心から望んでいたと思われます。

何だかんだと余談が長くなりましたので、その内容をご紹介します。

科学用語等がなかなか難しくて、ここ数日調べながら少しずつ翻訳していたのですけれど、間違い等があるかもしれませんので、 遺伝子解析などにお詳しい方はオリジナルの記事をご参照いだたけると幸いです。

―「地球最後のニュースと資料 In Deep」より(ドットコム




2018年6月22日



三十分で起こしてと
守護の天使に頼んで二度寝し一時間超え
予期せぬメール着信音で
起こしてくれた
日曜の朝
(さち)



2018年6月21日



『修徳生活入門』 S・デランジェラ編より

(つづき)
9 成聖のめぐみは必要か
成聖のめぐみがなければ、あらゆる善行は永遠に報いられる価値のないものとなってしまうほど、めぐみは必要である。

大罪の状態でおこなわれる善行ほどむだなものはない。ただし、その善行は、改心のためのめぐみをもたらす助けとはなる。
大罪におちいったり、また自分がめぐみの状態にいるかどうか疑わしいときは、完全な痛悔の心をおこし、みめぐみの状態にかえるために、できるだけ早く罪のゆるしの秘蹟をうけ、そのうえで日常の務めを果たすようにしなければならない。
重大なおこないのまえに、完全な痛悔の念をおこす習慣をつけておくことが望ましい。 (つづく)(とびいり


参考:痛悔の祈り

ああ天主、われ、主の限りなくきらい給う罪をもって、限りなく愛すべき御父(おんちち)に背きしを深く悔やみ奉(たてまつ)る。御子(おんこ)イエズス・キリストの流し給える、御血(おんち)の功徳によりて、わが罪を赦し給え。聖寵(せいちょう)の助けをもって今より心を改め、再び罪を犯して、御心(みこころ)に背くことあるまじと決心し奉る。アーメン。




2018年6月20日



さばきは東からでも、西からでもなく
荒れ野からでも、山からくるものでもない。
神がさばきを下し、
この人を低くし、あの人を高く上げられる。(詩編75)(王)



2018年6月18日



死が近いのに
まだ人を許せないという
そんな話をする時のあなたの顔をみたくはない
(さち)




2018年6月15日



朝鮮戦争で起きた大天使聖ミカエルの奇跡―メニューに掲載


2018年6月14日



缶コーヒーかってお気に入りのベンチへ向かうとカップルが
出ばなをくじかれ 
ふーん、お昼休みにいいわねえと
一瞬神の事を忘れる

いかんいかん(さち)



2018年6月13日





今日から聖アロイジオへのノヴェナをすると聖アロイジオの祝日に終わります。カトリック聖歌集415番の次の歌詞を9日間毎日祈ってもよいでしょう。

わかき者のはげましなる聖アロイジオ、いそしみもてわれ学ばん、聖アロイジオ

わかき者のよろこびなる聖アロイジオ、まごころもてわれ勤めん、聖アロイジオ

わかき者のなぐさめなる聖アロイジオ、つつしみもてわれ祈らん、聖アロイジオ

「6月21日 聖アロイジオ・ゴンザガ修道士 1568年-1591年

アロイジオは、イタリアのカスチリオネのゴンザガ侯爵の長男として生まれた。父の望みで軍人になるはずであったが、彼は当時の社会の不道徳を嫌い、修道者になろうと決心していた。父は、それに大反対をし、9歳のアロイジオをフィレンツェのメディチ家に預け、その後マドリッドのフィリポ2世に3年間仕えさせた。しかし、修道者になるというアロイジオの固い決心は変わらず、ついに父も願いを聞き入れ、1585年に、イエズス会に入会することを許した。

アロイジオは、自分自身に厳しく、信仰を深めることに努め、目上が派遣するどんな所でも忠実に働いた。1591年、ローマにペストが流行したとき、献身的に病人の看護にあたったが、自らもペストに感染し、24歳の若さで亡くなった。彼は、青少年の守護の聖人といわれる。」-「Laudate」より

(ポストマン)




2018年6月11日



『修徳生活入門』 S・デランジェラ編より

(つづき)
二 成聖のめぐみの状態について

8 成聖のめぐみの状態にいるのは、どのような人か?
原罪と大罪から解放されており、神の愛子、天国の世つぎとなる人は、成聖のめぐみの状態にいる。

 (つづく)(とびいり





2018年6月10日

「そうだ、イエズスとマリアを愛そう。聖人となろう!」―聖アルフォンソ・リゴリオ(王)







2018年6月9日

画像の説明

罪に砕かれたるイエズスの聖心(みこころ)への祈り―

「ああ、われらの罪によりて砕かれたるイエズスの聖心よ、

かくも多くの罪と過ちによりて、悲しみ苦しみられたる(苦しまれたる)聖心よ、

全ての不義のいけにえになる(いけにえなる)聖心よ、

われ、心を尽くし、全てに越えて、御身を愛し奉る。

御身を軽蔑し、うち捨てる人々に代わりて、われ御身を愛し奉る。

御身を辱(はずかし)め、御身の統治を妨(さまた)ぐる人々に代わりて、われ御身を愛し奉る。

聖体の秘跡にまします御身を、孤独に見捨てる人々に代わりて、われ御身を愛し奉る。

御身の愛の秘跡を侮辱と汚聖によりて傷つける恩知らずの霊魂らに代わりて、われ御身を愛し奉る。

イエズスの聖心よ、罪人らを許し給え。彼らはそのなすところを知らざればなり。

イエズスの聖心よ、御身の聖なるみ名を宣べ伝える人々を支え給え。

イエズスの聖心よ、苦しむ人々、戦う人々を支え給え。

イエズスの聖心よ、社会が全てに於て、正義と平和を保護する唯一の力たる御身の聖福音より、いぶきを受くるよう導き給え。

イエズスの聖心よ、家庭と国家が御身の諸権利を宣言せんことを。

イエズスの聖心よ、わが祖国(日本)を しろしめし給え。

イエズスの聖心よ、マリアの汚れなきみ心によりて、御国の来らんことを。」

(この祈りは、レピティエ枢機卿台下の要請によって、教皇ピオ11世聖下が1930年4月26日、特別に祝福し、認可されたものである。)(静香)


※(苦しまれたる)(いけにえなる]は管理人による加筆






2018年5月27日
三位一体



画像の説明




次の日曜日は三位一体の主日ですが、私にとって聖三位一体の奥義を理解することは、非常に難しく感じます。

半年ほど前のこと、今以上によくわからなかったときに、ネット上でこのご絵を見つけました。

そのまぶしさに圧倒され「光」といわれる意味が、感覚的にですがよくわかりました。

実際に聖三位一体の神様にお会いしたら、直視できないほどの光を放っておられるのではないかと、想像しています。(あお)




2018年5月19日



ある日の出来事

近所で数日にわたって水道工事が行われていた。交通整理の男性が一方通行の道で車の誘導をしていた。

男性は若くて、20代後半か多くて30代前半のようだった。体に合わない大きな制服を着ていた。

遠くから私の姿が見えた途端に、目が合う前より前に深くお辞儀をして笑顔で「おはようございます」という。

私は恐縮して2、3回ほど頭を下げて、早足でそこを通り過ぎた。

とにかく感じの良い挨拶と丁寧な物腰で、 私はうれしくて、その日は一日中幸せな気分だった。

数日後も彼がいて、また同じように挨拶をしてくれた。

見た感じでは彼はアルバイト、のようで、私の勝手な推測では、いわゆる高給取りではないと思う。

まだ若いのに、一般の会社務めをしていないのは何かの理由があるのだろうか。

神はすべての人を愛しておられる。

でもきっと、彼のような人を、特別に優しいまなざしでご覧になるのかもしれないと思った。

彼がとても幸せな人に思えて、少しうらやましかった。(エリィ



2018年5月1日

この世の一番を選んだだけなのに
軽蔑されて怒りをかう
あとどのくらいの辛抱かな(さち)



2018年4月17日



ユーチューブでわかった神のあわれみ(さち)


2018年4月9日



画像の説明

ニュース―聖木曜日の前夜、あるイタリア人ジャーナリストが、教皇が地獄は存在しないと彼に語ったとの記事を掲載しました。無神論者ジャーナリストで左傾新聞「ラ・レパブリカ」の創業者、エウジェニオ・スカルファリ(93歳)は、3月28日、二日前に教皇フランシスコが、天国へ行かない霊魂は消滅すると語ったと主張しました。(ポストマン―TLDニュースより)

☆☆☆


高齢のおばの話をききながら

その霊魂の行く先をおもい

名を呼ばれてはっとする(さち)



2018年4月6日



何も恐れることはありません。悪天候の後には、もっと澄み切った晴天が来るものです。

聖マダレナ・カノッサ修道女(カトリック手帳2018年4月のページより)(静香)



2018年3月28日



ある方のブログ(介護ブログで信仰とは関係ない方のブログです)でこんな文章を見つけました。すごく感動したのでシェアさせてください。

映画「ツナグ」の劇中の言葉

「最上のわざ」

この世の最上のわざは何?

楽しい心で年をとり、

働きたいけれども休み、

しゃべりたいけれども黙り、

失望しそうなときに希望し、

従順に、平静に、おのれの十字架をになう。

若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見ても、ねたまず、

人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、

弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること。

老いの重荷は神の賜物。

古びた心に、これで最後のみがきをかける。まことのふるさとへ行くために。

おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事。

こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。

神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ。

手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。

愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。

すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。

「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と。



どこからの引用かわかりませんが、今後の私にとって支えになる言葉です。(なな)


2018年3月23日



忙しさのせいで注意力散漫になっているからなのか、最近忘れ物が多くて困っています。

例えば、朝作ったおにぎりを仕事にもっていくのを忘れるなどは、よくあります。

先週は、ごミサに与ったときに、持って行ったマフラーを座席に忘れました。

でもそのおかげで、今日土曜日に教会へ行き、聖体訪問をすることができました。

失敗したと思ったのに、お恵みだったと感謝しました。(あお)



2018年3月14日



この十日間にあったこと

1、家族と車に乗り脇道から大きな道に出た時に。みんなで何度も左右を確認して右折したのに左からヒュンと軽トラックが脇道に入ってきて、危うくぶつかるところだった。私にも家族にもそのトラックが突然視界に入ってきて、一体どこからどうやって走ってきたのかわからなかった。ヒヤッとした。

2、掃除をしていたら頭に物が落ちてきた。眼から火花がでて気分が悪くなった。

3、白いマウスに左足をかまれる奇想天外な夢を見て、変な夢だなと思っていたら、柱に思い切り左足を打ちつけた。夜靴下を脱いでみたら真っ黒になっていた。正夢か。

全部自分の注意力散漫のせい。しっかりしなさいと神が教えていらっしゃるのかもしれない。(エリィ



2018年3月13日



とある関東の田舎町に在住の独居カトリック信者です。

だらしがないです。

このサイト昨夜初めて訪れました。なんでもありのようなので、してみました。大事件などと言うのではありません。

昨夜8時半ごろ近隣のスパーに車で夜の買い物に行きました。夜の8時ともなれば駅前の繁華街に人っ子一人いなくなるような田舎町です。

夜は生ものが安くなります。つい買いすぎて手に持つビニール袋が過多となり、一つを車の屋根の上に載せてからもう片方の手にひっかけて持ついくつもの袋を助手席に置きました。その時ほかの乗用車がそのスーパーの駐車場に入ってきて、バック入れをするのか頭入れをするのかあいまいな動きをするので、いらっときました。

スーパーの駐車場を後にして交差点を左折し、別のス-パー「○○堂」の駐車場に入りました、この駐車場は慣れるまで「IN]が見ずらい駐車場です。二つ、道路沿いに入口があって別の入り口からもう一台の車が入ってきました。

バックで白線内に入れ終わって車を降りると、そのもう一台の車から女性が下りて来て小走りにこちらに向かってきます。女性は笑顔でこうい言ったのです。「今×××で買い物をしましたか」「はい」「車の屋根に載せていた買い物袋がそこの交差点で曲がる時に道路に落ちました」「まだありますか」「あると思います」「ありがとうございました」

僕は入ったときのとは別のもう一つの出口から道路に出ると交差点を目指しました。急発進の様に。

頭の中では、交差点の道路脇などに白いビニール袋がそのまま放置されてあるという図を描いていました。

暗い現場に着くとちょうど左折するあたりに白いごちゃごちゃした物が散乱していました。「ああ」と納得して、スーパの駐車場に再度バックで駐車し、現場へ急行しました。

冷たい道路の上には、家で一人食そうとして買ったネギトロまきが発泡スチロールの容器から無残に飛出し散乱していました、ほかのチキンフライとあんドーナツ、ご飯ですよ、はそのまま店頭にある状態で転がっていました。ビニール袋は、白く、平たくなって、台風が過ぎ去った後の様に散乱した物のそばにありました。

とりあえず、信号待ちで車が止まっているのを見計らって、急いでビニール袋に無事だった物を入れ車に戻りました。

迷いました、あの路上のネギトロまきを片付けるべきか、車に轢かれて風雨にさらされて灰燼に帰すにまかせればよいか。

結局、後部座席に放置してあった「マルちゃんの赤いキツネ」12個入りのからの段ボールの蓋を破いて現場に戻り、散ったネギトロまきの掃除をしました。そのネギトロは弾ボールの中に捨てました。(酒井明夫)




2018年3月8日



『修徳生活入門』 S・デランジェラ編より

(つづき)
7、神のみ旨にかなうには、日常のおこないをどのように果たしたらよいか?
それには次の条件が必用である。
a 成聖のめぐみの状態、
b、おこないが正当であるという認識、
c,正しい意向、
d、おこないの実行において、もっとも正しく適切な方法をえらぶこと、
e、善行のあとの謙虚な態度、などである。神(つづく)(とびいり



2018年月4日



『修徳生活入門』 S・デランジェラ編より

(つづき)
6、キリスト信者が神に対する愛に達するために、何をしなければならないか。

そのためには、
a 神はもっとも完全なおかたで、もっとも愛するねうちのあるものであり、私たち人間を無限の愛をもって愛しておられること絶えず思いおこし、
b 完全な愛に妨げとなるわるい傾きを、ようしゃなくおさえてゆくことである。(つづく)(とびいり



正月の
もちつまらせ
夢路さまよう
救急車


(三瓶)


☆☆☆


2018年3月2日



『修徳生活入門』 S・デランジェラ編より

(つづき)
日常のおこないを完全に果たすための要素

一 日常のおこないについての根本原則について

5、キリスト信者はすべてのおこないをなんのためにしなければなたないか?
キリスト信者は、 すべてのおこないを果たすにあたって完徳に達する義務を、神に対する愛のために神の望まれるところを、神の好まれる方法をもって、遂行しなければならない。神のみ旨に反することをもっとも恐れなければならない。(つづく)(とびいり



2018年2月7日



反キリストを
暗殺したら
おいらは大罪か


(三瓶)


2018年2月4日



何度聞いても怖い。絶望と恐怖のみ。加工した音声ではないかとの意見も見られるが、もし真実だとしたら、今この時、神が特別に録音されることをお許しになったのかもしれない。
 以下、「日本と世界と宇宙の動向」より転載します。(静香)

「シベリアの地下深くにある地獄から悲鳴が聞こえてきました。

2011年に投稿されたビデオ情報ですが、シベリアで地下深くまで穴を掘った科学者チームが発見したものとは。。地獄?

彼らが聞いたのは空洞に響き渡る悲鳴?それとも地球内部のトンネル(全世界につながっている)網に吹き抜ける風の音?それとも地球自身の叫び声でしょうか?
&br私的には、地球内部には地獄があるのではないかと思います。まさに地獄に落とされた人たちの叫び声なのではないでしょうか。別のビデオではアラビア語のような響きが聞こえたと伝えています


http://beforeitsnews.com/metaphysics/2018/01/the-real-screams-of-hell-2446701.html
ビデオ)

↑ 2011年6月6日に投稿されたビデオです。

科学者チームがシベリアの僻地で地下14.4kmまで穴を掘り続けたところ、(地殻内の)大きな空洞に到達しました。空洞内の温度は1000度以上まで上昇しました。また空洞の底からは異様な叫び声(悲鳴)が聞こえてきたのです。科学者チームは叫び声を録音し調査することにしました。

(0:27~)こちらがその叫び声です。」



2018年1月31日



祈りの意向―こんにちは、管理人様。妹から以下のサイトが載せられたメールが届きました。百千鳥に投稿してみようと思いました。(ぜぇの)

http://www.chapellenotredamedelamedaillemiraculeuse.com/langues/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae/%e7%a5%88%e3%82%8a%e3%81%ae%e6%84%8f%e5%90%91/



2018年1月23日




:堕胎反対の行進がワシントンDCで行われました。皆口々に、「堕胎が悪であることは誰でも知っている」「結婚は男と女で行われるべきだ」「安楽死反対」「純血が答えだ」「神は勝利する」「決して諦めないで」などと叫んでいます。

https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=_IkJ-TuYbcE




2018年1月22日



コンビニで
買ったばかりの弁当をカゴから盗まれたという彼
なんという世の中なのか  (さち)




2018年1月18日



『修徳生活入門』 S・デランジェラ編より

(つづき)
4. 日常のおこないに忠実であるために、とくにおぼえておかなければならないことは、なにか?
それは、
a 好きなことのために、課せられた義務を怠るようなことがあってはならないこと、
b 完徳にすすむのは、困難なことにあるのではないこと、
c 若い人は、とくに日常の努めに忠実であるよう努めなければならないこと、などである。(つづく)(とびいり



2018年1月18日



久々の手料理を自画自賛して一人でたべる
十字架の主を
ちらと見ながら  (さち)




2018年1月15日



トナカイの
走る音聞きこっくりと
グラスを倒し
聖しこの夜


(明子)


2018年1月13日



ある店に行くために片側一車線のバス道路の歩道を歩いていました。下を向き考え事をしながら歩いていました。

ふと顔を上げると、前を小学一年生の男の子と女の子の二人が黄色い帽子で黄色い傘をさして歩いていました。急に強い風が吹いて男の子の傘が舞い上がり道の反対側のうんと先に飛ばされました。あろうことか男の子は左右を確認せずに、傘しか見ずにいきなり車道を突っ切って反対側へ走って行きました。たまたま車が来ていなかったからよかったのです。心臓が飛び出そうでした。片側一車線とはいえ交通量の多い通りでしたから。

次にその男の子のとる行動が予想できました。ふたたび道を突っ切ってこちら側へ戻ってくるのでしょう。私は急いでそこへ走っていって車線に出て、手を上げて走ってきている車を止めました。男の子に「こっちへおいで」と手招きして元の歩道に連れ戻しました。

わが子ならば思わず叱責したでしょうが、よそのお子さんでしたのでぐぐっとこらえて、しゃがみこんで低い声で説教しました。

その子を解放?した後にはっと気づきました。目指していた店の前を、考え事をしていたために何十Mも通り過ぎていました。ひとりで恥ずかしくなりながら店の方へ戻りました。

夜に歯を磨きながらふと思ったのですが、もしかしたら、その男の子の守護の天使が私の守護の天使に知らせたのかもしれません。(いつかどなたかが似たような話を投稿なさっていましたが)

でも、たまたま遭遇しただけの出来事だったかもしれません。わかりません。(エリィ




2018年1月10日



1982年にある司祭が日本の司教団に対して書いたもの(もう亡くなっている司祭)。その中のある部分を読んで涙が出そうになりました。苦しみが伝わってきます。(静香)

「私は、ここで、特に、我が教区の司教であられる、濱尾文郎閣下に対し、私の、聖職者としての良心にかかる重大問題を、日本司教協議会の前に、申し述べるよう、お勧めくださったその、御配慮と、御親切に、心より御礼を申しあげます。

イエズス・キリストの代理者なる、聖なる教皇の命令に従うことによって、私の尊敬する司教様のお望みに、抵抗を、感じなければならないことは、私に、生れて初めて、死する程の憂いを、覚えさせます。

聖会に忠実であろう、とするために、その同じ教会から、これ程の苦しみを受けることは、決して、想像できることでは、ありませんでした。この時代、人々は、今までにない暴力と、拷問の、苦しみの時代に、生きています。

しかも、聖なる教会までが、自分の子どもらを、拷問する時代にまで、なっています。このことについて、私は、多くの例を出すことができます…

とにかく、どんなことであっても、自分よりも遥かに愛する、この聖会に、いつも、服従いたします。

正しさをもって、教会に勝つよりも、むしろ、間違っても、その教会に従って一緒に損する方が、信仰においてましだと思っております。

しかし、それと同時に、白状しますと、自分の良心に背きながら、手で御聖体を授けることによって、イエズス・キリストの尊い御体を汚すよりも、即座に死ぬほうが、私にとって、ましであると、告白いたします。

何故なら、私の、司祭としての良心には、このことは、全ての不敬に、戸を開くことであって、それは、信仰と、愛と、特に、謙遜の欠けた処から生じてくる甚だしい涜聖だからです。」(「口でのご聖体拝領に関する弁論 」ヨゼフ・マリ・ジャック神父著より抜粋)


2018年1月8日



『修徳生活入門』 S・デランジェラ編より

(つづき)
3 もっとも小さな、とるに足りないおこないであっても、注意深くおこなわなければならないのは、なぜか?
それは、
a 神のみまえにおいてはものごとの大小はなく、
b 目だたないかくれたおこないに、ゆたかな恵みの伴うことが多いからである。

「よしよし、善良な忠義なしもべだ、あなたは、わずかなものに忠実であったから、私はあなたにおおくのものをまかせよう。あなたの主人のよろこびに加われ!」(マテオ25・23)
「些細なことはつねに些細だが、それに忠実であることは、偉大である」(聖ヒエロニムス)
聖人たちは、もっとも些細な事柄にも忠実であったので、完徳に達することができた。(つづく)(とびいり



 

2018年1月7日



『修徳生活入門』 S・デランジェラ編より

(つづき)2 キリスト信者ができるだけ完全に日常のおこいを果たさなければならないのは、なぜか?
a 信者が目指さなければならない完徳の義務は、日常生活のうちにあり、
b 神がこれをおよろこびになり、
c これに他の多くの功徳が伴うからである。

自分の職務をよろこんで責任をもって果たすことは、キリスト信者の特徴でなければならない。(つづく)(とびいり



2018年1月6日



『修徳生活入門』 S・デランジェラ編より

1 日常の行いの意味とその重大さとについて

① 日常の行いとは、何か?
「日常の行い」ということばをもって、キリスト信者はその身分に課せられた義務を果たすべく日課にしたがって毎日をおくることを意味する。

日常のおこないは、そのものとして善であるもの(たとえば祈ること、罪のゆるしの秘蹟によること、仕事にはげむこと)、そのものとしては善でもなかれば悪でもないおこない(たとえば飲食、睡眠)の二つにわけられる。(とびいり



2018年1月4日



シメオンの言葉
この子は、イスラエルの多くの人があるいは倒れあるいは立ち上がるために、逆らいのしるしとして立つ人です。そうして、多くの人のひそかな思いが明らかにされるのです。あなたの心も、剣(つるぎ)で貫かれるでしょう。―ルカ2・34 (静香)



謹賀新年
2018年1月1日


2017年12月24日



『修徳生活入門』 S・デランジェラ編より

(続き)聖体拝領のたびごとにいろいろの全体的つぐのいの宥め (免償)がえられる。これらのなだめをえるための祈りをできるだけとなえるようにすることは、よいことである。

a つぐのいのなだめの付されている祈りは美しいものであるが、同時に、私たちが願うべきたいせつな内容を含んでいる。
b 教皇の意向にしたがって唱えるべき祈りは、聖なる教会の必要とする願いが表されているので、神のもっともおよろこびになるものである。
c またそれらの祈りをもって浄めの場(煉獄)の霊魂を助けることができる。かれらも私たちを記憶することであろう。

聖体を拝領した日は、とくに慎み深くすごしたい。また一日中感謝の心をもちつづけ、さらに翌日の聖体拝領のために準備をするように努めたい。こうして聖体拝領は、私たちの生活の中心となる。)(とびいり



拝領で
立てと言われて今日も立つ
おいらと司祭の根競べ


(三瓶)


☆☆☆


2017年12月14日



ひざまずき
ロザリオ祈る
午後の雪
心の重荷
天に届けと


(明子)


2017年12月6日

年末の忙しい時期ですが
先輩方の新作俳句がまちどおしい


(さち)



   

2017年12月2日



『修徳生活入門』 S・デランジェラ編より

(続き)よい聖体拝領であるためには、感情的によろこびを感じないことは、なんらさしつかえない。

無意識のうちに心をちらし、神への強い愛情をいだくことができなくとも、その日の最大の忠実さをもって、神につかえたいという堅固な決心のうちに聖体拝領へ立ちあがるのであれば、それは立派な聖体拝領である。(続く)(とびいり





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