エリィ
エリィ
エリィさんは女性です。
2017年8月28日
地方で三つの教会を掛け持ちしている司祭の教会報です。
遠くに住むある方が送ってくれたものを投稿します。(エリィ)
○○教会報
教会を訪れた方々。小さい奇跡に感謝。
6月0日、ある青年が教会に来ました。「何か教会に用事があるのですか」と声を掛けました。すると「私は教会に来ると心が休まるんです。教会に何回か来ました。」と応えました。「あゝ、そうですか。カトリックの意味は『公・おおやけ・みんなのもの』という意味があります。どうぞこれからも、お聖堂に入って、お祈りしてください」と伝えました。
教会を訪れ、祈り、心安らかになることは嬉しいことです。
これからも、教会を訪れる人がもっと増えますように、その中から求道者が生まれますようにと、心からお祈りいたしました。6月0日、「ゆるしの秘跡をお願いします。」と言われ、告白場に入り、秘蹟を与えました。「あなたの罪を赦します」といい、最後に「神に立ち帰り、罪をゆるされた人は幸いです。ご安心ください」と言いました。この秘跡の時のことばは、イエス様の言葉です。必ず、その通りになります。一つの奇跡です。
ところがもう一つの小さな奇跡がありました。それは6月号の「毎日のミサ」の本をさがしていました。見つかりません。ところが赦しの秘跡を終えて、告白場を出る時に、この暗い部屋の中に「本」がありました。この本をここに置いた覚えがないのに、奇跡的に一週間ぶりに見つけることができ、「神に感謝」と叫びました。
許しの秘蹟を受ける人がいて、受ける人も、授ける私も共に、小さい奇跡を体験できました。
日々、神の恵みは注がれています。知らないうちに、そして、小さい奇跡として知らされる時もあります。この神の恵みがいつも注がれていることを自覚して、感謝の毎日をおくるようにいたしましょう。神に感謝。''
感想
「エリィさん教会報。今はこのような司祭は少なくなってきていると思います。下手すると詰問されたり、この忙しいのに、という顔をされてしまいます」(大介)2017年8月30日
2017年8月29日
先日髪を切りに行きました。最近よく利用する安く早く済む店で(1000円カットよりもうちょい高い店)美容師に気を使ってしゃべらずとも黙って本を読んでいられる店です。カルテなんてありません、担当の美容師もその都度変わりますのでそんなの嫌だという人にはむかない店です。いつもそこの男性美容師に切ってもらっていました。その日は混んでいて、待つ間にロザリオを一環祈ることができました。
待ちながら店内を見渡すと、一人の女性美容師が楽しそうに客と会話しています。黙っている客が多い店では珍しい光景でした。その女性美容師はまた別の客を椅子に案内し、楽しそうに会話しています。この女性美容師は会話好きなのだなと思いました。次に私の番になり荷物を預け椅子に座りました。
「髪が重たく感じるのでこうこう~してください」と頼みました。いつもなら(いままでどこの店でも)こちらの伝え方が多少へたでも美容師さんとのやり取りの中でうまく調整してくれるのですが、その日はなんだか違いました。
彼女は難しい顔で、私の希望する髪型にはできない、全体をもっとうんと短く切れば可能だという返事でした。私はそれは嫌だ、無理ならこのままの髪型でいいので少し調整するだけでいい、と頼みました。
ほんとにそれでよかったのです。それでよかったのですが、女性美容師は引き下がってくれず、私の髪はとてもくせ毛なのでどんなふうに切っても跳ねて広がると髪の毛を持ち上げたまま話し続けました。それはそのとおりなのですが。
なぜかその日は、私は学校の先生から叱られているいけないことをした子どものような気持ちになり、悲しくなり、もう帰ろうかと思いました。でもロザリオ一環分の時間を待ったのです。その後こちらの希望を通してもらうことができ、女性美容師は私の髪を切り始めました。無言で。
よく1000円カットは10分で済む、なんて謳い文句を見かけますが。私が椅子に座ってカットが終わるまで10分もかかりませんでした。拍子抜けするほどあっという間に終わりました。ここだけの話、もしかしたら5分だったかもしれない。
それでも希望通りに切ってくれたのですから本当は晴れた気持ちで帰らねばならないのですが、晴れませんでした。なにか冷たいものを感じて、また、私のプライドも傷ついたという理由のせいです。余計なプライドのせい、です。
ある人にその話をしたら、犠牲としてお捧げするようにと言われました。なので煉獄の霊魂のための犠牲と、思うことにしました。そしてこの髪形を鏡で見るたびに何となくいやな気持になりますが、それも犠牲と思い、ほかの店で切りなおすことをやめました。
感想
「エリィさんの8月29日。スーパーのレジによくこういう女性がいます。」(プリ)2017年8月30日
2017年9月5日
ある日私は地方の町に用があり出かけていきました。目的地に向かう道すがら小さなカトリック教会の前を通りました。時刻は10時半を回っていたと思います。この時間ならばもう朝ミサは終わっているだろう。では聖体訪問をして少し祈って行こうと思い立ち、小さな聖堂の扉を開けて靴を脱ぎ上がりました。
中にはもう一つガラス扉がありました。少し、30センチほどガラス扉が開いたままになっていて、私の眼とその開いたガラス扉の延長線上には聖体を奉挙している司祭がいたのです。私はとても驚きました。そして次の瞬間思わず跪き礼拝しました。私の周りには誰もいません。他の人たちは全員聖堂の中にいたからです。
奉挙のあとそっと聖堂の中へ入りました。ミサの途中からの参加ですのでこのまま聖体拝領をしてよいものか迷いましたが、気持ちを抑えきれずに列に並びました。
私は手で聖体拝領をしたことがありません。その日も立って口で頂こうと思っていましたら、その神父様はご高齢で足がお悪いのか「椅子に座らせてください」とおっしゃり信徒よりもとても低い位置からご聖体を配られ始めました。
そのような低い位置にいらっしゃる神父様からは立って口にいただくわけにはいきません。ごく自然に、跪いて、聖体拝領をしていただきました。
偶然その日はカトリックの祝日で、その日は遅い時間に朝ミサが行われていたのです。その神父様はそこの主任司祭ではなく、たまたまよその教会からその日だけその教会にミサを挙げにいらっしゃっていたのでした。
これらの偶然は神のなさったことだと思いました。(エリィ)
感想「9月5日。エリィさん。神様のこういう細やかな恵みは本当に暖かな心を感じる」(四郎)2017年9月7日
2017年9月16日
今日は子どもの学校が休みでしたので、一緒に買い物に行きました。重いものを買うつもりでしたのでついてくるように頼みました。
車で大きなショッピングセンターに向かう途中、脇道から本線に入ろうとしていたタクシーがいたので、道を譲り入れてあげました。子どもが「ほう、親切だね」と言いますので、「因果応報っていうじゃない。仏教用語の。良いことをしたらいつか自分に良いことが起こるっていうじゃない。」などと話しました。子どもは、軽くふっと笑っていました。まあね、という感じで。
ショッピングセンタ―の屋上駐車場に車を止めてエレベーターで一階に降りようとしたら、70代ほどの夫婦が「待ってください」といいながら乗り込んできました。子どもが、扉を開けたまま待っていました。奥さんの方が、「ありがとうね。助かりました。あなたは良いことしたから今日は何か良いことがあるかもしれないよ」とニコニコしながら子どもに話しかけてこられました。ん?どこかで聞いたような話だなと思いながらも、私たちと老夫婦は宝くじでも買いましょうか?などと言いながら笑いながら一階に降りました。
買い物をする前に子どもとジュースでも飲もうと思い、センターの中にある喫茶店(カフェといいますね)に入ろうとしたら、先ほどの老夫婦がブランチをとろうと同じ店に入るところに遭遇したのです。奥さんの方が子どもに向かって何か手渡しています。それはその店のポイントカードで、たくさんあるからと言って3枚握らせてくれたのです。飲み物が無料になるというポイントカードで、その3枚で総額1800円ほどになります!それを子どもに握らせてくれたのです。
子どもは遠慮していたのですが、私はありがたくいただきました。そのポイントカードを今日は使わせていただきました。お茶だけ、というのは何となくお店に対して気が引けたので子どもにはチョコクロワッサンを注文しました。子どもにとっては想定外のご褒美でした。子どもは「こんなに早く良いことが起きるなんて。もっと何年もまわってから来ると思っていたよ」と言いました。そんなに何年も、お母さんは待てません。
あ、そのポイントカードはまだ私の財布の中です。子どもに渡しておきます。良かったね、〇ちゃん。(エリィ)感想「9月16日 エリィさん。親子、仲が良いですね。自分もむかーし、母親と喫茶店に入ったことあります。一度だけ。」(大介)2017年9月17日
「9月16日エリィさん。愛が繋がっていく、心温まる良いお話ですね。」(あお)2017年9月18日
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2017年9月27日
今日の出来事
1、地元の大手の〇〇銀行に行きました。ある契約の口座引き落としを解約したかったので、最初に申し込んだときの書類(お客様控え)を持って窓口に行きました。
私「この契約の口座引き落としを解約したいんですけど」
行員「(お客様控えは)一枚だけでしたか?二枚ありませんでしたか?」窓口の20代前半の若い女性の行員さんが不思議そうな顔をしてます。
私「え?一枚だけしかもらっていませんけど」
普通はお客様控えは一枚しかもらわないじゃないか?と思いました。すると奥に引っ込んで先輩らしい行員さんと難しい顔して相談しています。ふたたび名前を呼ばれて窓口に行くと「もう一度申し込書を書いてください」というのです。私はますます意味が分からなくなりました。
私「もう一度申込書を書きなおして、そしてから解約書を書かなければいけないんですか?」
行員「ああ!解約ですね」
私「そうです、解約です」私はここで初めて、行員さんが解約を申し込みと勘違いをしていたことに気づきました。行員さんの勘違いなのに、すみませんの一言はありませんでした。
帰り際に「ありがとうございました」と行員さんの顔を見て言いましたら、行員さんは下を向いたまま含み笑いのような顔で「お待たせしました、ありがとうございました。」と言いました。彼女の中では私の言い方が悪かったことになっていたのでしょうか。それとも私が怒っていると思い顔を上げられなかったのでしょうか、だとしたら私が反省しなければなりません。とてもきれいなお嬢さんでした。
2、その直後ディスカウントストアの駐車場で、前を走っていた車が駐車するのを待っていたら、私の左に駐車してあった黒いフォルクスワーゲンがクラクションを鳴らしてどけ!といいました。私の車で自分が出られないから怒ったのでしょう。私は、うるさい、とつぶやきました。
家に戻り子どもに話しましたら「それはあおられたんだよ」と言います。ああそうか、あれもあおりというのか、と気づきました。いつぞやのさちさんの歌と同じであおられたんですね。寝っころがってスマホを見ながら「そういうのは弱い者いじめしかできないんだよ~」と悟りきったように言う子どもの姿がおかしくもありました。(エリィ)
感想
「9月27日エリィさん。今はあらゆるサービス業でプロ意識が低下していると思います。クラクションも、プップッと言う二回ならまだしも、プ―とならされると腹が立ちます。昔信号待ちでプ―と慣らされて怒ったやくざが慣らした相手に暴力をふるったという記事が新聞に載ったことがあります。そうです、女性だと付け上がったりする卑怯な人間は大勢います」(小溝)2017年9月29日
2017年10月13日
エプロンを裏表にして半日過ごす
誰も見てないけどはずかしい
(エリィ)
2017年10月19日''
思い出
多分私が小学一年生の冬のクリスマスごろの記憶。
町内の子供会の催しがあって、クリスマスにケーキを貰いにおいでという。初めてのクリスマス会。
母と妹と3人で歩いて公民館に行き、多分何か、クリスマスらしい紙芝居や歌を歌って、プレゼントのバタークリームの小さい小さいケーキが子どもたち一人一人に配られた。
残念ながら家に帰って食べたケーキはおいしいと思った記憶がない。固くてぼそぼそしたケーキだった気がする。
教会に行ったわけでもない。歩きながらどんな会話をしたのかも覚えていない。
でも夜道を3人で歩いて帰った時の何とも言えない幸福感だけは、今でも心に残っている。
あの幸福感は、キリスト教を知らない私たち家族にも、神が与えてくださったんだと思う。そうやって、神は自然と信仰へ導いて下さったんだと思う。(エリィ)
2017年11月25日
昔の育児書に、子どもは親の行為や仕草言葉だけでなく、吸う息吐く息まで真似するという内容の事が書いてありました。その言葉を文字通りに受け取り、責任重大だと緊張しつつ慣れない育児をした記憶があります。
最近は子どもも大きくなりその言葉をすっかり忘れていましたが、今朝朝食をとりながら突然その言葉を思い出しました。
自分もいつかイエズス様の吸う息吐く息に合わせることができるだろうかと考えました。でもそれは具体的にどのようにすればいいのか分かりません。
考え込んでしまいました。(エリィ)
2018年1月13日
ある店に行くために片側一車線のバス道路の歩道を歩いていました。下を向き考え事をしながら歩いていました。
ふと顔を上げると、前を小学一年生の男の子と女の子の二人が黄色い帽子で黄色い傘をさして歩いていました。急に強い風が吹いて男の子の傘が舞い上がり道の反対側のうんと先に飛ばされました。あろうことか男の子は左右を確認せずに、傘しか見ずにいきなり車道を突っ切って反対側へ走って行きました。たまたま車が来ていなかったからよかったのです。心臓が飛び出そうでした。片側一車線とはいえ交通量の多い通りでしたから。
次にその男の子のとる行動が予想できました。ふたたび道を突っ切ってこちら側へ戻ってくるのでしょう。私は急いでそこへ走っていって車線に出て、手を上げて走ってきている車を止めました。男の子に「こっちへおいで」と手招きして元の歩道に連れ戻しました。
わが子ならば思わず叱責したでしょうが、よそのお子さんでしたのでぐぐっとこらえて、しゃがみこんで低い声で説教しました。
その子を解放?した後にはっと気づきました。目指していた店の前を、考え事をしていたために何十Mも通り過ぎていました。ひとりで恥ずかしくなりながら店の方へ戻りました。
夜に歯を磨きながらふと思ったのですが、もしかしたら、その男の子の守護の天使が私の守護の天使に知らせたのかもしれません。(いつかどなたかが似たような話を投稿なさっていましたが)
でも、たまたま遭遇しただけの出来事だったかもしれません。わかりません。(エリィ)
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