あお

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あお

あおさんは女性です。


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2017年9月3日


●初めて飾った3つの御絵●

メッセージを信じるようになって、初めて飾った3つの御絵。

飾った動機は、大したことないものです。
①昔見たことがあり、マリア様の美しさが心に残っていたから
②なんとなく、聖家族の御絵を飾ったほうがいい気がしたから
③大警告のホームページに載っていたから

祈り始めた時は、憐れみのイエズス様でさえ直視できないほどの、後ろめたさがあった中でした。

聖家族のマリア様は、イエズス様に向けられているそのまなざしが、大変やさしく見えたので、マリア様には近づきやすいと思え、聖家族のマリア様に向かって祈り続けました。

憐れみのイエズス様を直視できるようになるには、その後1年は必要でしたが、マリア様が祈りを聞いてくださり、イエズス様に少しずつ近づけて下さったのだと思います。
(あお)



感想「9月3日。あおさん。この御絵は良く見ますが、あおさんの文を読んでまた新たな見方ができました」(のぶ)2017年9月7日

2017年9月6日


嵐は目の前?

○○教区内は、何カ所かの小教区がグループとなり、宣教協力体として協力的に活動を行っています。

ある××宣教協力体での協議会議事録より、抜粋します。

・3月の会合では、1月の議事の続きとして、下記内容について各委員の意見が発表された。

①司祭の数が減少しており、入門講座は信徒が運営してほしい。
②教会に救いを求めてこられる新規訪問者への対応を見直してほしい。
③福音宣教についての対応を考えてほしい。

大司教からは、カトリックは2000年の間積み上げられてきた論理や事細かなルールが宣教の障害になっているのではとの問題提起がなされた(下線、強調とも筆者)

この件については、これ以上記載がないため、詳しくは分かりませんが、2000年のカトリックの伝統を「障害」と発言して憚らない、恐ろしいときがやってきたことは分かります。

嵐は目の前かもしれません。

今まで以上に、司教団・司祭たちのための祈りが必要だと思います。

皆様、どうか、毎日めでたし1回でもお祈りください。お願いします。
(あお)

感想「あおさん。大司教がこんなこと言えば、信徒たちはそうだと思い込むでしょうね。メッセージでいう偽預言者が教義をまるきし変えてしまうその下準備がこうしてされているんでしょう。」(露)2017年9月7日

「9月6日 あおさんアメリカなら、こういう司教を批判する司教がでてくるのでしょうけど。これ1月のことですよね。初めて知りました」(ヨハネ)2017年9月7日


2017年9月15日



●希望の光●

平日、ある教会の朝ミサに与った時のことです。

その教会は、中央に磔刑の十字架とご聖櫃があり、平日でも神父様が説教をして下さる、素朴な良い教会でした。

平日の朝ミサですから、私の他に女性4人しか与る方はいませんでしたが、そのうちの1人のご高齢の方がベールを被り、御聖体を舌で頂いていらっしゃいました。

御ミサが終わり、その女性は「あなたは昔からの信者?」と話しかけてきました。

50年前、アメリカ人司祭に「神様の仰ることは変わらない」と言われたそうです。白衣つまりベールをつけなさいと洗礼を受けた時言われたことを、神様が仰ったことと考えているから、いろいろあるけれど、今もベールを被り続けている、と笑顔でベールを被っている理由をお話し下さいました。

このように、忠実に教えを守っている方に出会えたことで、希望の光を感じ、こちらが励まされました。

それと同時に、この女性もその教えを守ることにより、苦労されているように感じましたので、聖母にお護り下さいますように祈りました。(あお)




感想「9月15日 あおさん。反対のお年寄りもたくさんいます。現代主義が頬にこびりついているような昔からのお年寄りが。しかし、率先して現代主義を押し進めているのは中年の御婦人方。うちの教会では」(登)2017年9月16日



2017年11月16日



●荘厳司教ミサ●

東京大司教区カテドラル関口教会で行われた、グレゴリオ聖歌・ラテン語による「荘厳司教ミサ」(通常形式)に、初めて与ってきました。

1991年より毎年1回行われてきたこの司教ミサは、27回目となる今年も、1000人以上の方が与ったそうです。

大勢が、聖変化で跪く光景を、初めて見ました。

これこそ、御聖体の内にまことにましますイエズス様への、畏敬の念を表す一致の形だと思いました。その感動は、日ごとに増しています。

現在の跪きに対する状況の中、ここ2年はこの御ミサでも跪きが徹底されなかったということですが、今年は配布されたミサレットに、聖変化で「跪いてください」と記載され、また、「跪いて口で御聖体を拝領することもできます。」とも記載されていました。

その他、胸を三度打つという悔い改めの所作についても、日本では省かれていることに言及されていました。

ここまで記載するには、大変な勇気が必要だったと思います。

御ミサに与った方の中には、初めて跪いた方、戸惑いつつも初めて御聖体を口で頂いた方がいたようです。

御聖体に対する信心に導かれる方が増える機会になるのではないかと、希望を持った荘厳司教ミサでした。

このような素晴らしい機会を設け、続けて下さっている運営の方々、また、司式下さった岡田大司教様、司祭様方に感謝致します。(あお)




感想
「あおさんの荘厳司教ミサの話を読んで感動しました。いっせいに跪く音が聞こえるようです。地方にはこのような情報が入ってきませんので、貴重なお話でした。このような話を聞くと日本のカトリック教会もまだなんとかなりそうな気がします。祈り続けましょう。(ポテチ)2017年11月23日



















































































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